昨日からの続きネタではあるな。
桜(ソメイヨシノ)は殆どの人が大騒ぎ・小騒ぎするが、フジとなると桜程に騒ぐ人はいなくなる。それでも強度の差こそあれ、フジのファンもナカナカの規模だろう。
ワガハイ、子供の頃は今ほどフジの花が好きではなかった。そりゃ、幼稚園や小学校の頃ならば、花と言えばチューリップ、朝顔、ヒマワリが代表みたいなモンだった。そして田圃だらけの環境で育ったから、レンゲも多かった。
そんな中でも、結局はお絵描きしやすい花が代表となるから、やっぱりチューリップとヒマワリは王道だったなぁ。でも、ヒマワリっていうのはそれほど好きな花ではなかった。ありゃ、デカ過ぎるのだ。
キリンさんがデカいのはイイんだけど・・・ど~もヒマワリのデカさは気持ち悪かった。
さらにヒマワリに分が悪かったのは、昭和40年代の話しだけれど・・・我家のトイレは水洗ではなかった。いや、周囲の家々でもみ~~んな厚生省式改良便所だった。和式の便器でねぇ・・・あ!つまり汲み取り式便所のコト。或いはポットン便所のコトだ。
(ところで、便所って言わなくなったよなぁ・・・死語か?)
それで和式便器にまたがっているワケだ。そこから見上げると換気用の小窓があって、そこから隣の家のヒマワリが覗き込んでいるのだ。
ど~~も、ヒマワリに見られている感じがして、それが子供ゴコロに気がかりだった。
と、ゆ~~ワケで、巨大なヒマワリを見ると子供の頃の記憶が蘇るのだ。
「見てんじゃね~~よ!」
そう、言いたくなってしまうのだった。
そうした刷り込みを克服したのはフランスのヒマワリ畑の風景だった。夕日に染まる背丈がさほど高くないヒマワリの畑が視界が届くトコロまで続いていたのだが・・・ソコにはしっかりとゴッホの色があった。ゴッホさんの作品は、思いのほか自然に忠実だった。
それは二十代だったワガハイの経験だけど、それ以来、小ぶりのヒマワリは好きになった。そして老人になって・・・今でも巨大なヒマワリは嫌いだ。これは死ぬまで不変の価値かもしれん。
フジの花が綺麗だと思ったのは、小学校3年位の時だっただろうか?はじめてフジの絵を描いている。それは静岡県三島市にある楽寿園に行った時だ。
ソコには楽焼体験コーナーがあった。ワガハイ、陶芸はやってみたかった。自分の茶碗を作ってみたかった。それで執拗に親に対して要求したのだが・・・ダメだった。なぜ、親は認めなかったのかは知らんが、伯母が絵付けだけならばとワガハイの要求に付き合ってくれた。
出来ている湯呑にフジの花を描いた。それは目の前のフジが綺麗だったから。焼成は諦めた。残念だが当時は出来上がりを送付してくれるシステムではなかったと思う。再び三島まで受け取りに来なければならなかった?のだろう。
今でも捨てるコトなく、焼き物としては途中で終わってしまっている湯呑はある。コレがワガハイがはじめてフジを描いたヤツであり、フジを始めて綺麗だと感じた時の記念だ。
残念ながら、はじめて日本酒が美味いと思った時の空瓶は捨ててしまったなぁ。
さて、ヤマフジは咲き乱れていた!
そりゃもう・・・凄いコトになっていた。

国道246号の渋沢~松田の山の斜面も、アチコチでフジが狂喜乱舞状態だったけど、駐車出来ないので撮影を断念。この区間は小田急線も平行しているから、車窓からも見るコトが出来るだろう。そして寄方面に向かう県道710号沿いも強烈なフジの花が見られた。だが、ココも駐車出来ずに撮影断念。
あまりにも見事なヤマフジの姿に、見とれてはならない。注視した瞬間に谷底転落事故となってしまうだろう。それに新東名の工事車両も多いので、衝突事故となってしまいかねない。

いや・・・凄いというべきか?なんか綺麗さを通り越して獰猛ささえ感じてしまう。
秦野市は盆地だが、その市街地の縁の里山では・・・そりゃもう、ヤマフジの花が大変なコトになっていた。言い換えれば、山林の手入れが行き届かなくなった、というコトかもしれないけれど。
山にフジが蔓延ると、やがて木を枯らしてしまうからねぇ。

あの・・・この地域、全然ヤマフジ・・・珍しくないですぅ~~~っ。
蔓延してますぅ~~~っ!
希少価値は全くありましぇ~~ん。

こんな感じが、二宮町や大磯町の山林にも続いている。そしてコレだけヤマフジが咲き乱れていても、好き者は自宅庭でも藤棚を構えていたりする。そして我家とは比べ物にならぬ規模で、コチラはノダフジがナイヤガラ状態になっていた。
いや・・・秦野赤十字病院の割と近くに、毎年綺麗に咲かせている藤棚のある家があって、そこの前も通過しつつチラ見したんだけれど・・・見事だった。

最後に強烈なヤツ ↓

ノダフジを仕立てた棚も綺麗だけれど、ヤマフジのワイルドさもまた魅力だ。なんか、チト・・・怖ろしささえ感じてしまうけれどねぇ。
昨日撮影。天候イマイチだったので、光線には恵まれなかったのは残念だった。