あれよあれよ、と・・・庭の植物たちは勢いが良い。
老人の対応は間に合わない。
なんとなく今季、植替えが間に合わないかもしれない。一部の鉢は、エアーレーションで誤魔化せるだけ誤魔化す方針に変更するか。
今朝、マスク着用で花粉対策をした庭に出た。そして撮影などしたのだが・・・まもなく鼻水が。
部屋に入って撮影した画像のRAW現像を終えると、今度は目が痒くなってきた。鼻水は収まったけれど。

こうした辛さも多くの人と共有出来るようになった昨今は、昔からのアレルギー持ちにとっては孤独感は無くなった。我が幼少期はアレルギーって迫害されていたよなぁ。幾ら説明しても理解されない。当時の小学校の教師たちの殆どは、小児喘息の対応が分かってなかった。風邪と同じだと思っていたみたいだ。
それだけ、免疫は分かり辛い。少し前まで巷のクリニックの医者でさえ、アレルギーに無理解だった。
中学生の頃、同じクラスの友達に、親が耳鼻咽喉科医だったヤツがいた。それで彼の家に遊びに行った時に、その親父さんから言われた。
「アレルギー疾患は分からないコトが多い。免疫っていうのがまだまだ未知の分野なんだけど・・・医学部にいってアレルギーの研究者にならないか?」
それから、その親父さんからはイロイロな医学の話しを聞いた。そりゃ、医学を志させようとしているのだからある種の洗脳であり、興味深い話はイロイロ聞く機会を得た。だが、最終的にワガハイは解剖というトコロでど~も、躓くのだった。
猛勉強をして医学部に入ったとして、解剖には我が感性が耐えられそうにない。その一点で、ワガハイには医者としての適性が無いと思えた。それに他人の健康を与るという荷は、ど~にも重すぎると思えた。
たぶん、医者になったらその重責に潰されてしまうのではないか。そしてそのようなコトを、その親父さんに言ったんだが・・・
「だからこそ、適性がある!」
と、断言するのだ。そういう感性の無いヤツが医者になるのはよろしくないと言うのだ。つまり、ナニ言っても医者にならないか?という誘いは増していくのだった。そんなワケで、ホントウに一時的だが医学部を目指そうか?と思った時もあった。
そしてさらに誘いは続いた。
「臨床が苦手ならば研究者の道もある。」
コレは魔の手だった。ワガハイ、研究という言葉は好奇心を煽られるのだ。そりゃ、簡単に医学部に合格する筈はなく、茨の道ともいえる猛勉強を覚悟しなければならない。それをやり通すだけの覚悟を決めなければならない。だが、不思議なコトにそのことを両親に話すと・・・却下!
なんか知らんが、医者はダメだという。ワガハイ、子供の頃からイロイロ夢は描いたが、ことごとく却下され続けていたけれど・・・医者もダメらしい。そしてアタマから「医学部なんぞ受かるワケもない」と決めつけられた。
トンビはトンビを産み、カラスはカラスを産む、というのが両親の考え方だったようだ。番狂わせはない。だから後を継げ!というワケだ。それは家業があるならばその言葉も分る。だけど・・・国家公務員というのは後を継ぐ職業なのだろうか?
でもまあ、それは中学の時のコトだから、ワガハイとしてもやりたいコトはまだフィックスすることもない。こういう時の相談役は祖父だったので、祖父に聞けば・・・
「どの様になっても動けるように、勉強をしっかりとやっておくのが備えだぞ。」
という当たり前の一言で終わった。でもその通り。それが一番の策だろう。というコトで、ワガハイなりに頑張ったなぁ。
実はその医者のセガレ・・・つまり友人も似たような悩みがあって、医者にはなりたくないと思っていた。そして医者以外の道を探っていた。だが、最終的には父親を尊敬して、恐る恐る医学部に入った。彼も解剖は苦手で、メスには関わりたくないと思ったらしい。それで内科を志すコトにしたというトコロまでは、コーヒーを飲みながら聞いたコトがあった。
以後、あまりにものハードな勉学の為に交流が途絶えたけれど、たぶん素晴らしい医者になった。開業したクリニックのグーグルマップでのコメント評価は高い。とても丁寧に説明してくれるそうだ。
そりゃまあ・・・話し好きの彼の性分からすれば、ど~でもイイ世間話までしてチットも診療が進まないケースだってあるだろうなぁ。
絶対に話は長い医者だと思う。待合室はきっと混んでいるだろう。
遠方で開業されたから、ワガハイが厄介になるコトもないだろう。もっとも近くに行くコトがあったら、手土産でも持って診療時間の合間に声を掛けてもイイかもしれないケド。
そんな友人の親父さんから聞いた話しも手助けになって、やや専門的な医学用語も出てくる本なども読みやすい。昨年入院・手術した時にも「ひょっとして医療関係者ですか?」と、看護師さんに言われた。なんか説明に対して理解が早すぎたらしい。
「そりゃ、予めYouTubeで勉強しておいたからですよ!」
そう言って誤魔化したけれど。
子供の頃から医者通いが多ければ、自然とイロイロ覚えますワなぁ。不健康だった証拠ですワ!

でも、いまだに不思議だと思っているのは意識ってナニ?という問題。自分を自分と意識しているコトってなんだコリャ?と考えて考えて気持ち悪くなってひっくり返った小学生だったなぁ。それで医者に連れていかれて問診でそのコトを医者に言うと・・・
「大切な問題だけれど、答えはないよ。それは私も分からないから。でも、焦らずに少しずつ考えればイイよ。一生考える問題だから。」
ま、そ~ゆ~変なガキだった。つまりそれは3歳にして、小児喘息で死にかけた経験も影響しているのだろう。以後、現在までその後遺症ともいえるダメージで身体の微妙な不調が続いているのだから。それは構造的にも、ココロ的にも。
そうしてワガハイの意識ってぇのは、形成されてきたには違いない。脳味噌も肉体の一部。つまり思考も肉体から出た機能。意識も肉体あっての意識。それは動物のコトだからねぇ・・・野生動物としてのイロイロな問題を抱え込んでいる。どんなに理想を掲げても、動物という括りから逃れられない。
電流ではなく、血流・・・だからねぇ。

トランプもプーチンも、そ~ゆ~ところからあ~~なってくるワケだ。人間という動物を愛するのならば、奴らの言動もまた・・・愛おしく思わなければならない?そうしないと人間否定になるか?
そのあたりが・・・隣人愛の問題かなぁ?幾ら隣人を愛せ、と言われても・・・ねぇ?
そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」(マルコによる福音書12章33節 新共同訳)
というワケで、そんなコトを何故か思った今朝のプランター植えのフジだった。画像の通り、一日で凄い伸びた。昨日の当ブログの画像と比較してみて欲しい。