昨日はいつもより長めのブログとなった。だいたい3000字程度だったと思う。
通常、1700字程度でまとめる方針なんだが、たまには長文(という程でもないかもしれないが)も書いてみないとボケ防止効果が弱いかと思った。それに昨日のネタは、短い文章でまとめるとなると数回に分けて書くコトになるだろう。
もっとも、章立てにして分けた方が、より詳細に書けるけれど・・・キリスト教に関わるネタというのは、あまり歓迎されないような気もするので一回で書いておくコトにした。
まあ、別にアクセス数は気にしてはいないけれど、あまりにも読まれないというブログをやっていてもねぇ・・・遣り甲斐が薄くなるから。
でも、コトはついでに・・・いろいろ問題はあれど、日本の近代化は西欧のシステムを学んだだけではなく、その思想読解には神学も必須だった。そして今よりも多くの人たちが、とりあえず宣教を聞いていた。その影響は賛否は置いておいて無視出来ない。そうして今の日本が出来上がってきたのだから。
というワケから、例えば水道という概念、そして技術も、単に技術を学んだだけではなく、その大本はキリスト教会ルートだったコトもあったという。今ではそういうコトは何故か伏せられてしまっているけれど。さも、日本人の優秀さの話しになってしまっているようにも思うけれど。
ま、昨日の件はこの位で止めておこう。こういう話を不快に感ずる方もおられるだろうから。
さて、やや長文を書いてみたのは以下リンクの内容の影響を受けたのだった。長文の読解力については、やっぱり寄る年波の影響は出てきた。脳味噌の一時メモリー量の減少を感ずる。
この歳まで中学・高校の頃の記憶力が維持できるとは思わないけれど・・・あの頃は凄かったなぁ。ザクザクと読めば読んだだけ言葉は入ってきた。それは単に暗記力であって、その意味を深く噛みしめるコトとはチト違っていたかもしれないが。
暗記力と読解力は、イコールというワケでもないからなぁ。
メモリ不足の現在の方が、圧倒的にゆっくりになった分、味わって読んでいる気がする。そして場合によっては読書中に止まる。そして想い考える時が増えてきた。そこから読み戻す時も増えた。そうすると改めて発見があったりする。
いや、単にストーリーが曖昧になったから確認の為に後戻りする時もあるけれど。
ま、読書といっても様々なジャンルの多様な書き手によって、その読み方も変わってしまうのは当然だけど。
それで、それなりに老いて、それなりに人生経験を積んできて、かつての文豪の小説など読む・・・気にならないんだよなぁ。
川端康成・・・読まんねぇ。
谷崎潤一郎・・・読まんねぇ。
たぶん、もう一生、読むコトはないだろう。
なんか、チラッと見るだけで下地が見えてしまうというか、特に川端は嫌味が勝ってくるのだ。コレ、酒や珈琲のテースティングと同じコトを言っているかもしれない。
というワケで・・・飽きずに美味しく頂いているのはコレ!
さばの水煮缶は健康に良いと評価が高い。EPAとかDHAとか、そういう物質が身体にとても良いというのだ。ワガハイ的にはコレを食べたコトで健康に好影響が生じたような経験はない。ただ手軽で美味だし、ストック出来るから数缶を常に備蓄してある。
割とKALDIで売られている上画像のモノを使う機会が多いけれど、別にコレに拘っているのではない。でも、缶のデザインは目を引くので、KALDIに行けばこの缶詰の前を素通り出来ない。
さて、さば缶の健康効果については様々な記述が既にあるので、ワガハイが多く語るには及ばない。だが一つだけ・・・知人の彫刻家が何らかの体調不良に見舞われて医者に行ったという。それで服薬に頼りたくなかった彼は医者にそのコトを告げると・・・
「ならばサバ缶食べなさい」
つまり処方は「さば缶」というコトになった。それで暫くは薬のつもりで毎日食べたらしい。するとひと月ほどで症状が楽になったという。
こういう話は巷に多いけれど、それは症状とその人の食材との相性にもよるだろう。だから彼が成功したからといって、ワガハイが真似しても同様の効果が得られるかどうかは・・・ワカラン。
ま、もっとも処方薬だってその効き目は患者それぞれで違う。薬の治験情報を見れば効果が無かったデーターだってあるのだから。
とにかく、健康志向はあるけれど、さば缶は便利で美味だから食べる。我家はただそれだけ。多分、気付かないトコロでEPAやDHAが効いているのかもしれないけれど。
読書も、ソレを読んだからといって、ナニかが劇的に変化するなんてコトは滅多にないからねぇ。
そう思うと、昨日のバッハの教会カンタータは・・・人によってはやや劇薬的な効果があるかもしれない。