ここ数日、庭ネタが続いている当ブログだ。
面積的には駐車場1台分に若干プラス程度の広さしかない庭なのだ。そこに葡萄棚はあるし、ブルーベリーはあるし、柚子はあるし、モミジもある。そしてアジサイも植えてある。それだけにとどまらず、地植え出来ないモノは鉢植えにしている。
ゴチャゴチャで、夏場は鬱蒼とし、周辺を見渡すと我家だけ異端の存在となっている。
そんな理由で、ヒヨドリの餌場になり、スズメの憩いの場になり、鳩が営巣地に狙いをつけ、ハクビシンがやってくるのだろう。
だが、あまりにも周りの家々が庭を楽しんでいないのだ。そりゃ、狭い住宅環境だけに敷地ギリギリに建てた残りの面積はコンクリート敷にして2台分の駐車場にしてしまうというのが相場だから。
ま、土だと草むしりが面倒というのもあるだろう。そりゃあ手入れをせずに草ボ~ボ~も迷惑になる。それよりはコンクリートの方が苦情は発生しないよなぁ。
今の世の中、土よりコンクリートやアスファルトの方が歓迎されるのだ。というか、そういうコトってワガハイの子供の頃から続いてきた価値観の一つだろう。そりゃ今更、土埃とぬかるみの未舗装路だらけの生活には戻れない・・・か。
ワガハイの幼少期・・・というよりも中学卒業まで、地元の公立校だったけれど、その通学路には未舗装路があった。そして水たまりを避けて歩き、避けられないほどの大きさの水たまりもあって、そういうのは隅の水深が浅いトコロを抜き足差し足で切り抜けた。そんな田舎道というワケではない。普通に住宅街を抜けて行く生活道路がそんな感じだった。
そして、そういう環境で自転車を普通に乗っていたので、砂利道などを走るのも苦にならなかった。荒れた路面でコケることもなかった。かえってアスファルト舗装が増えて、道路と歩道の継ぎ目でコケるコトの方が多かったように思う。
そういうことから、身の回りにはオフロードがありふれていた。郵便屋さんも新聞配達のお兄さんも、スーパーカブでそういう荒れた路面を難なく走っていた。子供の頃の自転車遊びには、空地で自転車を走らせてブレーキングドリフトをしたり、或いはブレーキを使わずにハンドル操作だけでドリフトさせたりして遊んだ。
クルマのドリフト競技の並走みたいなコトでも遊んでいた。
土は管理し切れない。放置すれば草原のようになっていくものだ。それが自然というもの。
でも、人間という動物の身体もまた自然。そのコトをついつい忘れてしまう。
腸内環境は自然なのだ!
話しは飛躍してしまうけれど、土を見て、腸内環境を思う。
(町内環境も考えたりするけれど。)
種が落ち、芽吹いて花が咲き、枯れて土に還っていく循環を、この小さな庭の土で見ている。小さな庭・・・大きなプランター的なその庭でも自然の驚異を体感できる。
庭って学べる場なんだねぇ。
コンクリートで固めるのは勿体ない。
以上、ダラダラと終わりが近いホトトギスの花を見つつ、思ったコトのメモとした。花が細くなり、乾燥気味の印象に見えてきたのは終わりが近い兆候。少々増えすぎたホトトギスだな。