猛暑をやり過ごし、再び花を咲かせて実り始めたワイルドストロベリーだ。鉢植え一つなので、沢山の収穫は期待出来ない。だがソモソモ大量収穫を目指してはいない。小さな花と赤い実が、ナンともイイ感じではないか。それを楽しむだけでも目の保養となる。
そして収穫すれば、朝のヨーグルトを飾るコトが出来る。一つか二つの実に過ぎないけれど、口に広がる香りは素晴らしい。甘さは・・・そんなに期待しないケド。
先週は、ソロソロ収穫だな、と思っていた矢先に誰かに先を越された。容疑者はヒヨドリ。な~んとなく早朝に騒がしかったのだ。またもヒヨドリの餌場と化す我家の庭だ。
庭ではスズメも賑やかになってきた。周辺のフィールドでのエサが減ってきたのだろうか?そんなコトも考えてしまう。でもなんか・・・ハクビシンよりは可愛いモンだ、と思ってしまうヒヨドリ。何でだろう・・・ハクビシンはアタマが良すぎて嫌になるのだろうか?それにしつこいからな。
というコトで、アタマの良い人としつこい人は嫌われる・・・というコトだろうか。
だが、諦めてはいけないという・・・そんなコトを、何処かの大学での講演で、安倍晋三さんは語っていたような気がする。それは極めて部分抜粋のテレビ番組内で聞いた言葉だが。
確かに、諦めたらそこで終わりだ。そして「諦め」というのは消極的な終止符というコトなんだろうか。だが、人間という動物が欲望の動物である以上、理性的判断でモノゴトを止めるなんて無理と思う。トコトンやって嫌気がさすか、飽きるか、そういう理由でしか止めないのでないか?と思う。
タバコが身体に与えるダメージについて、いくら知識を蓄えたとしても禁煙出来ない人は多い。そして何らかの健康状の理由で止めても、ナニかの機会に理由を見つけて喫煙を再開する。
ワガハイの知人も、瀕死の重傷という事故を経験し、数年にわたる入退院を繰り返した男なのに、ホトボリさめれば昔以上のヘヴィースモーカーとなり、輪をかけた大酒のみとなってしまった。かつてはスリムだったのに、別人のようになってしまった。
彼は、生死を彷徨う入院というストイックな環境を経て、その反動によって欲望が更に増してしまったようだった。
勿論、人によってはそういう切っ掛けで酒もタバコも止めてしまう人もいる。
あ!我が親父は健康診断の結果を受けて禁煙を行い、50代前半からは全くタバコを吸わなくなった。それが要因かは分からんが92歳まで生きた。ただ、最後の数年はボケが酷く、誤嚥性肺炎をきっかけに入院生活となってしまったけれど・・・体力の蓄積がありすぎて、なかなか苦しみから解放されなかったようだった。
元気過ぎても苦痛が生ずるというコトなんだろうか?親父の様子からは、複雑な心境となった。
とにかく、アタマでしっかりと判断し、納得してモノゴトを終えるのは難しい。
身の回りには、既に二度と使うコトのないモノも多々あるにも関わらず、捨てられずにいるし・・・今更もう、スキーはやらんだろう?やっても100メートルも滑れば息切れして温泉に行きたくなるだろう?それでもまだ、ナンの未練なのかスキー道具がある。
それとも、再び頑張ってスキーをやるか?
諦めたら終わり、なのだ。
でも、まあ、もう・・・スキーはやらない。だいたいもう・・・寒いトコロに行きたくない。つまり、こういう理由で終わっていくのだ。理性なんてなんにもない。
そういえば、ぶっ倒れて救急車で搬送され、エライ目にあった老人がいた。気付けば10年前のコトだけれど・・・その男は医者からきつく禁酒を言いつけられて、それを守ると宣言もして退院したんだが・・・再び酒を口にして救急搬送された。そこから先のコトはワカランが、暫くして訃報を聞いた。
ま、酒、吞みたかったんだねぇ・・・
「おりゃ、酒の味はわかんね。だからどんな酒でもイイんだ。どんな酒だって酒だべよ!おりゃ、酒が好きなんだ。」
そう言ってたなぁ。
彼が再び酒を口にしたきっかけは・・・おそらく某教会の聖餐式だろう。当初はパン(ウエハース)だけにして、ぶどう酒は封印していたらしいが・・・
そうして口にしたらしい。そこから酒が止まらなくなった。例え司祭が司式の為に聖別しようとも、アルコールはアルコールである。彼は禁欲した分を取り戻すかのように、再び酒を呑んだ。たぶん、より多くの量を。
で・・・召された。
でも、呑兵衛としては、それもまた大往生ではないか?とは思うけれど、誰よりも高らかに歌い上げる彼の聖歌を聞くコトが出来なくなったのは、寂しいには違いない。
というコトで、摂生も適当に・・・バランスよく?というコトに落ち着くのだろうか?極端な摂生はリバウンドを生ずる。
ま、ナニゴトも頃合いが難しいというのは言うまでもないけれど。