只今満開中のホトトギス。我家の狭い庭の片隅に咲く・・・のではなく、かなり多目の面積を占有して繁殖した。生育条件が合致したのだろう。
生育条件が合致、ということは・・・湿度が高め、というコトだろうか?
いや、そんなにジメジメとはしていないのだが。むしろ風通しは良いように見える。でも、モッコウバラやユズの木が風よけとなり、モミジが適当に日陰を作っているからホトトギスとしては快適なのだろうか。
以前も書いたと思うが、ワガハイの記憶に残るホトトギスは、西丹沢の玄倉渓谷で見つけたものだ。沢筋を辿って行った岩場の隙間に咲いていた。それは群落ではなく、数本のホトトギスだった。渓流の景観の中で咲いてきたというのが、一層の思い出になっているのだと思う。
独身の頃は、とにかく道なき道を歩くのが好きだった。丹沢のアチコチで藪漕ぎをしていた。そして送電線の鉄塔巡視路を歩き、適当な踏み跡を見つけては入り込み、登山道に出るとそれを横切って斜面に向かった。
現在のようにGPSなんて無かったから、国土地理院地図とコンパスを持って、とにかく読図能力は鍛えられた。それって危険なのでは?と言われたコトもあったが、遭難はしなかったし、迷うコトもなかった。そもそも天気の良い時しかやらない、あからさまに危険な場所には立ち入らなかったから。
今、丹沢エリアをグーグルマップで見ると、saff raanさんや景図工房さんが様々なポイントの画像を上げている。彼らは相当にマニアックな場所の画像を提示しているけれど、結構ワガハイも行ったトコロだったりして懐かしい・・・というか、結構雰囲気が変わってしまっている箇所も多い。
植林が育って伐採されて・・・という変化だけではなく、やはり崩壊が進んでいる印象は拭えない。ワガハイが若かった頃に造られた砂防堰堤も、埋もれてしまっていたりするから。
フィールドで出会う草花の楽しみと園芸の楽しみはチョット違うけれど・・・つまり園芸でやると野山の咲き方と違ってガンガン咲いたりする。それで趣がねぇ・・・もう少し謙虚に咲いてくれるとココロに響くのだが。
で、その謙虚に咲くというコトからするとホタルブクロはけしからん!あれ、綺麗だからと庭に植えるとガンガン増える。そしてクリスマスツリー状態の装飾過多状態の花付けとなる。もはや可愛らしさはない。そして抜いても抜いても生えてくる。
というワケで、山野草は山野にあってこそ趣があってイイものだと実感した。とは言え、大雨の度に崩壊が進む斜面の多い丹沢だけに、植生も変化が激しいように思う。40年前に素晴らしいイワシャジンの群落があったトコロは、ソモソモその斜面が崩落してしまった。
何年か続けて見にいったイワタバコの群落も無くなった(どこか別のトコロで咲いているのだろうが)。
もっとも、そうして移ろい行くものなのかもしれないけれど・・・イワシャジンの群落はもう一度、丹沢で出会いたい。でももう、山歩きする体力がないけれど。
庭のホトトギスを見ながら丹沢の思い出に耽る。そしてあの時、ワガハイは瞬間的に楽園に居たのだなぁ・・・と思う。我を忘れてイワシャジンやホトトギスに浸っていた。
そして今、ど~も上手くいかないホトトギスの撮影に、その攻略法を探す努力もせず、無暗に撮影を重ねている。大した工夫がないから、大きな進歩はない。マクロレンズに付け替えてみただけだ。
まあ・・・普通に綺麗なんだけど。なんか・・・?という不明瞭な不満が残るワケだ。そしてこういう不満な状態というのが一番解決がし辛い。問題点を探る・・・というよりは、いったいナニを撮りたいのかを明確にする必要がある、というのが間違いないコト。
なんとなく撮っているから、なんとなく、の結果になる。
では、画材を持って描くならばど~するか?そういう視点も時に必要だろう。絵を描くコトと写真画像は一致しはしないのだけれど。
撮影メソッドの基本中の基本、引き算をすれば一輪だけフレーミングして、背景をぼかして・・・となる。とりあえず構図は微妙に問題があるけれど、花は際立つ。
でも、コレって・・・面白いか?
コレ、続けて面白いか?
やり続けていれば何処かでナニかが破綻する。すると面白いコトになるかもしれない。結局、小さなハプニング(突然変異)が面白いコトになってくるワケで・・・あとは光待ちか?
ナニにつけても光線次第。それには違いないだろう。