ギリギリ踏ん張って、咲き続けている江戸朝顔の株がある。花の大きさは二回りほど小さくなったけれど、今朝も三輪の花が頑張っていた。
この命に未練があるのか、或いはまだまだ種を付けなければ不安なのか?と、擬人化した心理を植物にあてがっても意味のないコトは分かっているが・・・ワガハイ的には、この江戸朝顔程には頑張れないような気がしてしまう。
若い頃から植物を眺めていると思うのだが、植物にも意識があるような気がしてしまう。それは動物の意識とは違ってはいるだろう。脳神経のようなものは無いのだから。でも、それに代わるナニかがあるのでは?と思いたい。
ワガハイが近づけば察知し、それが好意的な動物なのか、危害を加える可能性の高い動物なのかも感ずるコトが出来る植物・・・というコトであって欲しいという、単なるワガハイの願いに過ぎないとは思うけれど。
生きて行きて・・・生きた先に死がある、のではなくて、枯れた状態もまた生きている、というような意志?ではないけれど、そんな雰囲気を感じてしまう。
死はない。
種を落とし、越冬して春には芽を出す。
種になって冬眠しているだけ。
人間という動物の生死も、とても長いスパンで捉えていくと生死も無いような気がしてくる。ただただ、個人的には苦痛だけは勘弁願いたいというだけ。
江戸朝顔の様子を見ていると、な~んか、こう・・・突き抜けていくようなナニかを感覚的に得られるような気がしてきた。
人間という動物はアタマでっかちだから、ついつい己の脳味噌に刻まれた記憶に頼り過ぎてしまうのだろう。
と、そんなコトを思いながら江戸朝顔を撮影した。
ただ、3枚目の画像の撮影時だけは・・・なんとなくエリンギに見えてしまった江戸朝顔を、エリンギ的に見えるアングルを選んで撮った。
そういえば昨今、スーパーマーケットで普通に売られているシメジが美味くない。量産によってドンドン味が落ちている感じがする。エリンギの方が圧倒的に旨味が出ると思う。
ま、マイタケに至っては・・・これはもう、本来のマイタケとは全く異なった風味になってしまっているからなぁ。
天然マイタケ・・・今までに一度しか口にしたことはないけれど、あれは確かに舞いたくなるというのは分からないワケではなかった。
ま、とにかく朝顔は食えない。朝顔の種は生薬として日本薬局方にもある「牽牛子(けんごし)」だ。利尿剤や下剤としての利用だが、毒性が強いらしく難しい処方らしい。たしかに見るからに、美味そうには見えない種の姿かたちだ。
この朝顔の種を鳥が啄んでいる様子って、見たコトはない。たまたま見過ごしているだけかもしれないが。
毒というのは、つまり食ってその成分を消化分解出来ない(代謝出来ない)から毒となる。だからその成分を代謝出来れば有効となるワケだ。それで代謝といえばナンチャラ回路っていうのがあったように思うが、が人間と鳥類では一致してはいない。
故に・・・鳥が美味そうに食っているからといって、人間が真似すると痛い目に遭う。
山歩きをしていて、綺麗な実を鳥が美味そうに食べていたからといって、真似してはいけないのだ。
それでも・・・この朝顔の種を入れた炊き込みご飯など作り、長年に渡って修行?を積めば、やがては人間という動物もその毒成分に対応する身体を得るかもしれない。でもまあ、それは多くの犠牲を伴うチャレンジとなるだろう。
ど~考えてもやらないコトだ。
綺麗な花には毒がある!という朝顔であった。
幾ら温暖化でも・・・来週には花も終わるだろう?