書棚を眺めると、岩波文庫と講談社学術文庫が多いコトに気付く。新潮文庫や角川文庫は少ない。つまり、ワガハイの読書傾向はそういうジャンルなのだろう。書店に行って(そういう機会もめっきり減ったけれど)直行するのは岩波文庫の棚だからなぁ。
いつの日からか、文芸系は読まなくなった。な~んか、面白くないんだよなぁ・・・それでも割としぶとく読み続けていた作家が村上春樹だったけれど。それは「群像」で村上氏の「風の歌を聴け」を読んだ時以来、新刊は欠かさずに読んだ。「ねじまき鳥・・・」までは。そしてそれ以降は、もういい・・・と思って読まなくなった。
だが、一人の作家の作品をデビューからほぼ新刊のタイミングで読んできたコトは、それなりに貴重な読書体験にはなった。他の作家で、ここまで継続的に読んできた小説はないから。
つまり、「ねじまき鳥・・・」以降はナニかが変わった。それがど~して起きたのかは知らんケド、作家にとって呪縛化してきたコトを吹っ切ったのか、乗り切ったのか?とにかくワガハイが引っかかっていた要素が希薄になってしまったのだから、それは読まなくなる。
以後、いい加減に時が流れてから「1Q84」が手元にやってきた。これはある老人が暇つぶしに買ったものの、読んでみたものの・・・ナニが面白いのかさっぱりワカラン!というコトで邪魔だからワガハイに御土産代わりに置いて行った本だった。
それで、ワガハイ的にも全く興味は無かったのだが、話題にもなった本だし、一応は目を通した。そして結論として興味深い要素は一つも見当たらなかった。そしてブックオフではタマ数の多さと、本の状態の悪さから値段が付かなかった。
以上!
ハルキストの多くを敵に回す内容となった。
さて、多田富雄さんといえば、これまた当ブログの過去記事(下にリンクあり)にもあるはずだが「免疫の意味論」という本がある。ワガハイもその本で多田富雄さんの文章とはじめて出会った。今もって印象深い、大切な蔵書になっている。
この「免疫の意味論」の内容は、免疫系に立ってみた位置から自己と非自己についていろいろ記述があった。その視点(立脚点)・・・「免疫系」というのが実にインパクトのあるものだった。この本が出版された頃は、ちょうど養老孟子さんの「唯脳論」が話題となっていて、ワガハイもそれを読んで面白いと思った。
「唯脳論」は、そのタイトルの通りに「脳」という視点(立脚点)から論じた内容だが、多田さんのそれは、脳とは対照的(ではないのだけれど)というような免疫から見ている点で、この方がより興味深い視点だと思った。
なにせ、生まれてまもなくからアレルギー疾患で苦しんできたワガハイだけに、免疫には興味があったから。
ま、そういう経緯で「生命の意味論」という本が出版された時も、一応は書店でパラパラと頁をめくった。そしてとりあえず、読むコトを先送りした。当時はそれよりも先に読みたい本が沢山あったから。
で・・・今年9月、この本が文庫化されて出版されたコトを知った。こりゃ、買わんとイケん!
で・・・買った。
で・・・実は現在も後半部分を読み続けている際中である。
1997年に新潮社から出版されたものの文庫化なので、内容的にはやや古い情報が含まれるのは致し方ない。だが、内容的には興味深く、専門書ではなく「意味論」として一般読者にも読解(なんとか)可能な(部分もある)内容になっている。
たぶん、「免疫の意味論」よりも読みやすいのでは?と、思うけれど・・・「免疫の意味論」では「読解不可でつまらん!」と言った一流理系大学出身の知人もおられるから、コレは単なる理系向きの内容というワケでもない。
結構、思想系の要素も強いと思うからねぇ。
というワケで、この「生命の意味論」の内容に関しては、まだ読了ではないので書かない。多分、読み終えた時にブログに書くかもしれない。買って損はない本だと思うので、ナニか感覚的に引っかかる方は購入を検討されたい。
「免疫の意味論」について書いた当ブログの過去記事は以下リンク先など参照されたし。