Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

東京の「地霊」 鈴木博之 著・・・を読んだ

東京の「地霊」 鈴木博之 著 文春文庫

昨日に続き、大先生の蔵書を頂いた中の一冊だ(大先生というのは、ある文化施設の館長さんだった人だけど名前は明かさない)

その大先生、この本の著者と面識があったのだろうか?本の最後の頁には鉛筆で「2012,10,9」という日付が記入されていて(読了の日付か?)、更には新聞の切り抜きも丁寧に糊付けされていた。「遺品の思い出 鈴木博之さんの文鎮」という題で書かれた文だ。読売新聞2014年7月30日掲載のようだ。そこには〈2014年2月3日、肺炎で死去。68歳〉とも書かれていた。

こうした記事を文庫本に貼られているのだから、その方への何がしかの思いがあったのだろう。

これ、貰ってしまってヨカッタのかなぁ?と、思ったりもしたけれど、当人としては気持ちが吹っ切れたのかもしれない。或いは大量の本を処分するにあたって、いちいち細かいコトに捉われる暇は無かったのかもしれない。

ま、お会いする機会があったらこの件については聞いてみよう。忘れなければ、だけど。

大先生も終活、なんだろうか。新しいコトを始めるにあたっての身辺整理なのだろうか?そういうワガハイも荷を整理して、もう少し身軽になりたいという思いが強くなりつつある昨今だが。

 

さてこの本、一通り読んでみてど~といった感想はなかった。土地の意味を鑑賞するように楽しむ世界は、ワガハイも時間にゆとりのある散歩ではやること。まあまあ同質の視点だとは思った。したがって「そ~だよなぁ・・・そりゃね」的な言葉が出そうになる記述が多かった。

大先生も、アンダーラインを引いた箇所は「まえがき」のみ。付箋は一カ所「後記」のみ。先ず「まえがき」においては・・・

どのような土地であれ、土地には固有の可能性が秘められている。その可能性の軌跡が現在の土地の姿をつくり出し、都市をつくり出してゆく・・・(略)・・・都市の歴史は土地の歴史である。 (p.3)

・・・一般には、都市史研究といわれるものの大半が、じつは都市そのものの歴史ではなく、都市に関する制度の歴史であったり、都市計画やそのヴィジョンの歴史であったりすることに、かねがね私は飽きたらなさを感じていた。 (p.3-4)

  つまり全体としては、ゲニウス・ロキという言葉の意味は土地に対する守護の霊ということになる。 (p4-5)

 だが、地霊ゲニウス・ロキという概念が注目されたのは英国の十八世紀である。 (p.5)

 この際注意しておくべきことは、地霊という言葉のなかに含まれるのは、単なる土地の物理的な形状に由来する可能性だけではなく、その土地のもつ文化的・歴史的・社会的な背景と性格を読み解く要素もまた含まれているということである。 (p.5-6)

そして「後記」では冒頭部分に付箋が貼られ、その箇所の内容は・・・

 本書の方法上、もっとも影響はウケた著作は左記の書である。

  J. Summerson, Georgian London, London, 1945, 1988, (p.268)

というコトだった。まことに要領を得たトコロにアンダーラインは引かれ、付箋が貼られていた。これで本書がナンであるかのポイントを押さえられる。読書の達人の技をみたように思った。

 

なんか、著作の内容以上に大先生の読み方、まとめ方を垣間見るような体験となった読書だった。この経験をもとに、大先生の著作を読み直すと・・・ナニガシカが変わる、かもしれない。