この本も、以下リンク先での「日本の珈琲 奥山儀八郎 著 講談社学術文庫」と同じく、ある大先生の蔵書を頂いた中の一冊だ。
加えて「日本の珈琲 奥山儀八郎 」について書いた、以下リンク先も参照されると嬉しい。
一枚、高橋竹山のCDを持っている。コレ ↓ だ。
1996年発売のCDで、出てまもなく購入したと思う。別に三味線のファンでもなかったのだが、店頭で直感的に引っかかったので手にした。そして帰宅して聴いて驚いた次第。
でも、そう何回も聞き直すCDでもない。強い印象を残す音だけに、CDであっても一回性の体験のような気がした。そりゃあ聴き直せば新たな感動が無いワケではないんだが、門付けの演奏の凄みは・・・演奏というよりは生きる為の行為といった感触が強いと感じた。
後日、それと似た経験をライプツィヒの街角ですることになった。その男はヴァイオリンでバッハのパルティータを弾いていた。鮮烈で突き刺さるような音のパルティータで、道行く人たちへの男の視線も怖い程に鋭く、街頭の一角は異様な雰囲気を漂わせていた。
誰も立ち止まらない。妻もワガハイも立ち止まるのを躊躇した。そして遠巻きにその様子を見つつ、その場を後にした。それは始めて聴いた高橋竹山のCD体験を思い出すようだった。
さて、この中公文庫の存在はかねてから知ってはいた。というか頂いたものの、な~んか若い頃に読んだような気もした。でもまあ・・・再読でもイイではないか。
高橋竹山が視力を失ったのは、子供の時に罹患した麻疹による。そのコトが本の冒頭に記述されている。今では麻疹も少なくなり、罹患しても治療がされるから失明される方は圧倒的に少ないとは思う。
だが、ワガハイが子供だった昭和30~40年代はどうだろう?麻疹に罹った友達はいた。明治生まれの祖父母は、麻疹の危険性について非常に恐れていた。実際に祖父母の育った頃は、高橋竹山のように視力を失った人が身近にいたというから。
もう、読み始めから幼少期の記憶が呼び覚まされたワガハイは、公衆衛生や医療の改善で、人間という動物は随分と苦難を克服してきてはいるのだなぁ・・・と思った。と同時に科学技術によって新たな苦難と向き合う羽目になってしまったけれど。
目下、その新たな苦難でワガハイ的に憂慮するのは、福島第一原発の燃料デブリの取りだし。やっとサンプル的な取りだしを終えたというけれど・・・これから気が遠くなる作業。気長に100年かけて取り出す・・・ワケにもいかないのでは。やがて建屋も朽ちていく。とてもあと100年もそのまま維持出来る構造とは思えないから。
事故ればいうまでもなく、事故らなくても廃棄物処理の目途は立たず、その保管リスクとコストがいろいろな圧迫を生じさせて行くのが明らかなのに、な~んで冷温停止で安定してきている炉を、再稼働させるのだろうか?
でもそれは・・・民主党ではなく、共和党を選択したアメリカ国民という欲望が、ある意味人間という動物の習性に忠実だとも思う。
もう10年が過ぎたのだろうか・・・彫刻家のスタン・アンダーソンさん(1947-2015)の訃報に驚いた。秋からの中之条ビエンナーレでの作品プランを電話で聞き、今回は必ず伺いたいと約束したんだが・・・心筋梗塞に倒れてしまった。
生前、彼は群馬の山中のテントの中で、アメリカの政治についてシンプルに話した。
「経済は共和党、福祉は民主党。だから経済が悪くなれば共和党になり、そこで金持ちが傲慢になって格差が広がれば今度は民主党。教育や福祉に金が回り出すと経済関係に不満が鬱積してくる・・・だからソレだけだから。」
その言葉を思い出せば、今回のアメリカ大統領選はトランプとなる。そしてそうなった。あの時のテントの中での会話通りになったと思った。
脱線した。
この本にも、数枚の付箋を貼る箇所があった。その一つを引用して本日は終わりたい。
・・・上手にやるという人はまずたくさんいないものだ。三味線やる人は大勢いるけれども、満足にひける人は少ない。なるほどというところがない。そういうのに限って道具自慢で道具に金をかける。p.178
確かに・・・素人の方が高い機材を使っているコトは多々あるからなぁ。