Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

伊勢原 太田道灌公之墓

太田道灌公之墓

今日は神奈川県伊勢原市にやって来ております。伊勢原は都内新宿からですと、小田急線の急行で1時間弱の距離にあります。人口10万1千人程、丹沢の登山口の一つでもあり、大山阿夫利神社伊勢原市にあります。新東名の「伊勢原大山IC」が出来て、車利用も便利になりました。みなさ~~ん!伊勢原に遊びに来てねぇ~~~!!

説明板があった

太田道灌と山吹の花

 文武両道にすぐれ、人々から兵法の師範と
称された道灌は、若年の頃は武略のみを心が
け、文の道はかえりみなかったと伝えられる。
しかし、父の道眞資清は当時和歌の名手とし
て、又、連歌の達者として知られ、馬上に打物
取っては並ぶものなき勇者でもあった。
 狩りに出た道灌が雨にああい、雨具を借りに
立ち寄った賤が家の乙女の差し出した山吹の
花の意味が分からず、自ら深く愧じて学問に志
した説話は余りにも有名である。関東に生ま
れ、関東に育った武将の中で、都の文人にも
劣らなかった文化人であり、又、江戸の築城に
当たっては都市計画の先覚者でもあった道灌
の非業をいたんで、花が咲いても実とな
らぬ山吹の花をえらんで、道灌への思慕の情
を託したものであろうか。

 みやび男の子の
    道灌さまは
  花も実もある あづま武士

土地の人が歌った、道灌追慕の唄である。
     洞昌院 二十七代当主 安達久雄

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伊勢原中央ロータリークラブ創立十周年記念植樹
   昭和六十三年五月三十日

太田道灌の墓

背景は普通に住宅街。そして墓石手前両側にある錆止め色的蓋?は、おそらく巨木を切った跡だろうか。かつては二本の木の間から墓石が見えたのだろうか。ならば実に堂々とした景色を構成していただろう。

ちょっと残念。

昔は背景も木立だったのだろうか?

でもとにかく、大切にされている空間。

もう少し寄ってみた

寂しい空間ではないから、イイかな?

通りがかりにチョロッと立ち寄って、また先を急ぐ。ここを目当てに訪れる人は道灌のファンだろう。観光として立ち寄るには、チト、大山へのルートから外れるので辛い。阿夫利神社の帰り道に、バス便利用で立ち寄るのは・・・?

グーグルマップでは以下リンク先。

https://maps.app.goo.gl/vGivrbiB7NkU6RJFA

「台久保」という神奈川中央交通(神奈中)バスのバス停そばにある。

www.city.isehara.kanagawa.jp

享年55歳・・・太田道灌

殺されてしまった最期だから、なおさら丁重に葬らなければならない。

引きの絵

ま、ちょっと、なんていうか・・・ね。

そういう最期だから、この場を立ち去るにはココロに酸っぱいものが流れる感じがする。でも、花は生けられていたし・・・そういうコトで、やって来た人間という動物の心は癒される。

道灌の霊が癒される、と同時にワガハイも癒される。

いや・・・ワガハイの方が癒されている。

石塔やお地蔵さんが集結

で、お地蔵さんたちに見送られてしまった感じ。

 

これから暫くの間「風景・散歩」が続く。