昨日の内容の、やや続き。
我家のブドウはマスカットベーリーAという品種で、生食にも醸造にも用いられる。でも、生食用としてスーパーマーケットに並んでいるのを見たコトはない。というか、今までに数回しかない。だから生食したければ、栽培している果樹園の直売などをチェックするコトになるだろう。
やっぱりワイン醸造がメインの品種なのだろうか。ワインならば割と国産ワインの並ぶ棚で見つけられるので、呑む方が消費者には身近だろう。
生食も美味なのだけど。
これからの時季、ブドウの葉も紅葉する。赤や黄色になる。だが我家の場合は綺麗に紅葉したのは一度だけ。毎年枯れながら落葉する。その原因として一番に考えられるのはドウガネブイブイによる食害だ。
ドウガネブイブイは葉を食べるだけでなく、葉の表面に何らかの病害菌類を付着させていく疑いがある。そうして葉は傷む。オマケに酷暑の影響もあって葉面は更に痛めつけられる。だから秋になったブドウの葉はボロボロだ。
風当りが強いのも原因の一つだろうが。
そうした複合的な理由によって、とても美しく紅葉する余裕なんてない・・・みたい。
落葉を見ながら毎年思う。春に芽吹くと猛烈な勢いで新芽を伸ばして葉を展開し、夏にはボリュームがあり過ぎて困るほど茂り、そして落葉になると幾らの物量も無いコトが分かる。
ホント、少ない部材で超高効率な枝葉という構造物を作りあげて光合成を行い、甘い果実を育て上げてしまう。
凄いなぁ・・・こんな高効率な生産なんて、人間業では不可能だろう。
無駄が無いんだよなぁ。
それはブドウに限らない話しだけれど、特にブドウへの思い入れが強いので、ブドウから多くのコトを学ばせてもらった。この庭に植えた一本のブドウは、ワガハイの人生観を変えたブドウの木である。
そして「ぶどうの木」の例えが多い新約聖書の記述を思い出しながら、その時代においてもブドウは特別な植物で、多くの人たちがその栽培に関わり、感心があり、現代人よりも熟知していた・・・そういう前提を想像してしまう。
聖書記述のぶどうについて、まあまあ批判的になるけれど・・・聖職者の説教内容を聞いていると・・・ですねぇ・・・「ブドウのコト、全然知らねぇな?」と、思ってしまう。
それで、ある司祭と雑談する機会があった時に、ブドウ栽培の実際の話しをした。だけど、ソレはそれ、コレはこれ、なんだな。だから例えの意味が分からない。神学的解釈やら註解書の引用知識ばかりだった。
これでは生きてない言葉だ。イエスの兄貴はブドウの特性を熟知していただろう。ブドウの性質を前提として言葉の意味を共有出来るように話された。
イエス死すともブドウは残る。例え品種改良されてもブドウはぶどう。その本質的な性質が変容してしまうコトはない。それにマスカット・オブ・アレキサンドリアなんて、どれだけ古くからの品種だろうか?クレオパトラも食べたと言われる品種なのだから。
勿論、イエスさんだってマスカット・オブ・アレキサンドリアを口にしたと考えてもイイだろう。その人の例え話を受け止めるには、やっぱりブドウがどの様に育ち、実を結び、冬を迎えるかを知り、体験しないと読解を誤る・・・と思う。
ブドウの生態はコードだ!
少なくとも、そうした視点を持ってブドウ狩りに行ってほしい信徒の皆さん(ま、ブドウ狩りの季節も終わったけれど)。
ま、デラウエアならば失敗も少なく、収穫も早いから台風被害も受けにくいし・・・鉢植え(ただし大きな鉢)でもナントカなるし・・・栽培してみるのもイイんじゃない?
苗の手配は今なら間に合うだろう。どうせ買うならウィルスフリー苗を購入した方が良い。勿論、接木苗。そういう苗は、ホームセンターでは入手出来ないかもしれないので専門業者に問い合わせよう。産地にはナントカ葡萄研究所といった業者があるので、それを目指せば良いのだ。
でも、先ずは電話やメールで連絡して苗の予約だ。先方も苗の準備があるから。
ワガハイはココ ↓ で買ったケド。