Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

かつてあった「川匂の湯場」

ちょっとディープなトコロ?

場所は神奈川県中郡二宮町山西。もっとも山西と言ってもナカナカ広うござんす!

ハイ!ここ

https://maps.app.goo.gl/yW3buUKRhBxeEETF6

近くに「川勾神社」があって、ココは延喜式式内社 相模國二之宮という、まことに有難き神社である。更には・・・

小田原北条氏鬼門守護神社

とても大変なコトになっているのが感じられる。

 

「川勾神社」の御祭神については、以下リンク先を参照されたい。

etsuro1.hatenablog.com

一応、神社のHPは以下である。

kawawajinja.com

 

川匂の湯場

ここは「川匂の湯場」と看板に表記されている。川勾神社の西側に位置するのだが、昔は温泉場があったらしい。

とは言っても、そんなに大きな温泉ではなかったと思う。勿論、鉱泉のようだ。箱根は強羅の硫黄泉ってなモノではないみたい。だとしたら、黄色い硫黄の痕やらニオイが僅かでも感じられるワケだが、ここは無臭だ。

今でも僅かながら湧き出ているらしい

道脇でクルマも時々往来があるので、ボ~っと妄想して突っ立っていると迷惑&危険。そして、この湧き出ているという小さな池になっているトコロは、一面水草に覆われており、水面さえも確認し辛い。

説明板

川匂の湯場

 ここは、古くから「川匂の湯」として広く知られ、
神経痛や皮膚病に効能があるとして、湯治に訪れる
人が多く、明治三十七・八年頃の最盛期には、東京・
横浜方面から来る人で賑わったという。
 当時は、三階建ての湯宿があり、ここから湧出した
鉱泉を沸かして用いていたが、大正十二年の関東大震災
で打撃を受け、建物は倒壊、地下水脈が変わってしま
った。なお、僅かではあるが現在でも湧出している。

令和五年二月
二宮町教育委員会

というコトらしい。

これ以上、詳しいコトを追求もしないけれど、明治時代といえば東海道本線が延伸していった時代だ。横浜=国府津の開業は1887(明治20)年みたいなので、おそらく鉄道によって東京・横浜の人たちが川匂の湯を訪れたのだろう。

いや、この件はもう少し調べてみよう。横浜と国府津が開業したからといって、二宮にもすぐさま駅が出来たとは限らない。二宮駅開業は・・・1902(明治35)年みたいだ。

なるほど、説明板の最盛期と合致するような気がする。

二宮駅も出来て便利になったから、川匂の湯にでも行ってみんか?」

そうしてゾロゾロと皆さんがやって来たのだろう。

もっとも、二宮駅から歩いたらソコソコの距離感はあるけれど、その程度の歩行など、明治の人にとっては日常的な感覚だっただろうし・・・ついでに川勾神社もお参りして・・・っていうのは、どちらがついでか知らんが。

そりゃまあ、ワンセットだったんだろう。ひょっとしたら川勾神社とタイアップして観光のキャンペーンをやっていたかもしれない?

いやまて!流石にそんな不謹慎なコトはやらなかっただろうか?そのアタリは気になるけれど。

当時は観光協会ってあったんだろうか?

まあ、深入りはしないでおこう。

サイクリング中の方がやって来た

ワガハイがこの場を離れて引きのカットを撮ろうとしたら、すぐさまサイクリングの方が説明板を眺めはじめた。

かなりマイナーな旧跡のような気もするが、一応グーグルマップにも表記されているから気になる人もおられるだろう。ワガハイも、かつて二宮に温泉があったというのは子供の頃に聞いたんだが、それが何処だったのかを追求しはしなかった。それがグーグルマップの表示を見つけたコトで合点したのだから。

 

関東大震災で水脈が変わってしまった・・・残念。

現在でも営業されていたら・・・とも思うが、水脈以外の様々な困難の中、湯場の経営が成り立ったかどうかはワカラン。

ま、とにかく湧出量が少なすぎて、現在では復活はあり得そうもない。改めてボーリングしたところで採算性?

 

川勾神社に参拝の折は、そこから少々西の方へ移動すればココに行き着くので、興味のある方はどうぞ。

 

:「川匂の湯場」のという漢字と、「川勾神社」のという漢字は違うので混同しないようにしないといけない。