
我が家系は、長生きの傾向があるかもしれん。祖父母も明治生まれで84歳まで生きたというのは、当時としては結構長生きだと思った。そして父も90過ぎまで生きたし、母はこのままでは恐ろしいコトに100歳まで生きるかもしれん。
長生きするコトは、果たして幸せかどうか分らんぞ~~、って思うケドねぇ。子供の方が先に失礼するかもしれん。それに両親の世代はピンピンコロリが理想と思ってみたり、老衰が楽に死ねると考えていたように思うけれど、何人かの知人・縁者の老衰を見聞きするに、老衰もかなり大変だというコトが判明してしまっている。
そりゃまあ、老衰だとしても人それぞれの最期であって、だいぶ以前に当ブログで登場した妻のピアノの師匠は、老人ホーム暮らしながらピアノを弾き、聖歌を歌い、夜の祈りを捧げて就寝し、翌朝・・・施設の方が旅立ったコトを確認された、と。
まあ・・・コレは誰にでも可能な最期ではないだろう。
妻のピアノの師匠については以下リンク先参照。
で、ワガハイ的にはイロイロ不具合が生じている本年なんだが、こういうのも先輩方の様子をみているに、一時イロイロ不具合が頻発しても、暫くすると落ち着いてしまうケースも多々ある。まるで長いことクルマを維持していると、ある時はあらゆるトラブルが起こり、維持するのを躊躇したりするが、一通りの修理が終わると安定してしまい、故障するコトもなくなって穏やかに乗り続けられたりする。
一時期の辛抱かもしれん・・・乗り切れば再び、それなりに安定した健康状態の日々を送れるかもしれない。だが、以前よりはトーンダウンはするだろうが。
そうして・・・徐々に、段階的に、より老人に脱皮していく。

まあ、あまり悲観的に考えない方がイイ。どうせ誰でもソコソコ生きれば通る道だ。適当に力を抜きながら生きるのが賢明だろう。というコトで、しばらく病院通いが多い日々。
病院通いは面倒だけどねぇ。
でも、若い医療従事者の方々がキビキビと働いておられる姿を見ると、なんか頼もしくてねぇ・・・ココロの中で応援してしまう。一方、同年代のベテラン医師だと・・・な~んか、お互い、傷のなめ合いというか・・・衰えの共有というか、妙な優しさが感じられたりして変だ。
でもまあ、そういう対応が面白いといえば面白い。
楽しみも見つけなければ病院通いも続かん!
人生の大ベテランご夫婦が問診票に記入出来ずに迷っている様を遠巻きに拝見しつつ、それに気づいた病院の方が親切にサポートされていたり・・・そういうのを視野の外れの方で興味津々に覗かせてもらったりして、待合室でも飽きるコトがない。
様々な人生が垣間見られて、思い、考えさせられる。
でも・・・そんな光景に心静かに声援を送れるなんていうのは、災害に見舞われるコトもなく、平穏な日々だからだ。

能登。
絶句した。多くの方々が驚愕し、唖然とし、歎かざるをえないだろう。
そして能登に限らず、自然災害は狂暴化する。きっとこれから、もっと酷い災害がやってくるだろう。果たして備えきれるのだろうか?
まともに考えると、ちょっと絶望感も漂う。
所詮、人間という動物が対処出来るコトなんて限度がある。
だが、日本においてハッキリと自覚出来るコトはある。この国土は常に自然の猛威に晒されており、その破壊エネルギーは人知を超えているのだ。他国と戦争をする暇などないのだ。
領空(海)侵犯したり、ミサイル飛ばしたりしている輩と付き合っている暇など無いのだ。そして地球熱帯化の折、それは全ての国家民族に降り注ぐ災難だ。気づけ、愚か者!と、為政者どもに怒鳴りたい感情はある。
国防・・・ナニが国防なのだろうか?
能登への支援が、なんか・・・ねぇ?

ま、とにかくメダカを見たり、庭の花を眺めていると・・・そんな苛立つ気分もなだめられる。とにかく無駄なエネルギーを使わずに、ココロ落ち着かせて過ごすように留意しないとダメな、ワガハイという動物である。
修行が足りん!
っていうか、修行はしてないからねぇ。