雨上がりのさわやかさはない。
蒸し暑いだけ。
朝からダレ気味というのは、ここ毎日だけど・・・遂に老いて体力もここまで落ちたか?と思う。だが扇風機を使うと少しマシになり、エアコンを入れて少し経てば復活してくる。
軽い熱中症なのだろうか?水分は相当積極的に摂取しているけれど・・・発汗の冷却機能だけでは追い付かないのだろうか?
ま、エアコンを使って寝ていても、な~んとなく睡眠が浅いのかもしれない。
あまり睡眠の質に神経質になり過ぎるのも、かえって心理的によろしくないと思うので・・・
喝!
ま、こんなコトを繰り返している昨今だ。
元々神経質だからねぇ。
*******
昨日のブログはジジイの駄洒落でもあった。「紙から逃れられない」というタイトルは、勿論「神から逃れられない」とかけたつもり。
神を裏切るのは人間であって、その逆は真ではない・・・だろう。
ね!紙(という物質)を捨て去るのは人間であって・・・データ、というコトでもある。
昨日は聖書からの引用も多かったんだが、こういうのが続くとアクセス数が下っていく傾向がある。アクセス数を気にして書いているワケではないんだが・・・それでも余りにも少なくなると、チト・・・やりがいは落ちる。
多すぎても嫌だし、少なすぎても嫌、という我儘である。
だが、イエスさんは呑兵衛だったワケで、福音書の中には直接にも間接にもぶどう酒に関わる記述が多く見られる。コレは呑兵衛にとって実に興味深いコトだ。
そして、呑兵衛の視点から読解していくと、いわゆる神学の定説とは少し違った風景が見えてきたりする。残念ながら神学者の方々は、呑兵衛の気持ちは心得ていないのだろうなぁ。
呑兵衛は学問にはならんか?
ワガハイ、とっておきのワインはイエスの兄貴と酌み交わしているコトを想像して呑んでいたりする。呑兵衛の先輩として尊敬する兄貴だと思うから。
ここにいちいち、福音書からの記述を列挙することもないけれど、昨日の箇所は代表的なトコロだろう。あんな感じで例えられている。もっとも時代が余りにもかけ離れ過ぎているので、例えの背景が途絶えてしまって理解不能のトコロもあるのは致し方ない。そこは想像で埋めて、自分勝手な想像の世界に遊び、決して公には多くを語らない方が身の為だろう。
そうしないと、異端扱いされかねない。ワガハイ的には呑兵衛会なる新派を作る程の熱量はないからねぇ。でも異端扱いされてルターやカルバンが居たんだなぁ・・・比べるのは失礼過ぎるけれど。
でも・・・相当な手練れの呑み手だったと思うイエスの兄貴だ。超一流のソムリエを凌駕する実力の持ち主だったと思われる。
「うわぁ~~~あ。分かっとるわ!流石!!」
そんな歓喜を覚えつつ読み返したりする。そして大昔から、優れた酒の要素ってあまり変化がないようにも思える。
さらに紀元前から続く赤ワインをテースティングで遡ることが出来たとしたら、それはそれはロマネコンティをも凌駕する名酒も多く存在しただろうとも思う。そしてそういった酒が聖書の舞台となった時代でも酌み交わされ、話題になっていたのではないだろうか。
そう考えるとウキウキしてくるのだ。
イエスの兄貴と時代を超えて呑兵衛繋がり?
はい!ワガハイ一応、ブドウで繋がっておりますぅ~??
では本日も福音書から呑兵衛の一場面を引用しよう。ヨハネによる福音書の2章「カナでの婚礼」から。
3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言った。4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」5しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。(新共同訳)
そして「水がめに水をいっぱいに入れなさい」と呑兵衛は言うワケだ。召し使いたちはかめの縁まで水を満たす・・・
8イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んでいった。
水がめの水が名酒に化けた、という有名なトコロだ。勿論、水がぶどう酒に変容するコトだけに気をとられていたら肝心の例えを見失ってしまうだろう。そこはブドウがどの様に育ち、実り、酒になるかというストーリーを踏まえた上での話しになっていると思う。
つまり、ブドウの育成・収獲タイミング・醸造技術・熟成技術を踏まえた例えになっていると思う。
だからブドウの栽培を知らずに読解すると、この場面は単なる奇跡にしか感じられないだろう。だが、これは別に奇跡でも何でもない。ここで呑兵衛であるワガハイの読解の詳細を書くには、多くの頁が必要になってしまうので、今回は割愛するが・・・ま、気が向いたらポツポツ書いていくかもしれぬ。それが果たして知ったトコロでど~なの?ってな内容かもしれないが。
聖書にはパンの例えも多いけれど、これまたパン作りのナニガシが分かっているのといないのでは、読解がズレてくると思う。この点は、コロナ禍で籠っていた時にパン作りが流行ったので、ナニか気付かれた方もおられるかと思うけど。つまり、ぶどう酒もそ~ゆ~コトだと言うワケだ。
ぶどう酒もパンも発酵食品。その微生物の働きが分かってきたのはパスツールとして(日本の醸造研究所っていうのもあるけれど)、モノが湧く(発酵する)というのは洋の東西を問わず、ミステリアスな現象だったから・・・まあまあ神秘的現象としていろいろ語られるのはアリだよなぁ。
今でも・・・微生物の不思議さは、失われてはいないけれど。