連日のオリンピック報道で、影に隠れてしまったニュースはどれだけあるのだろうか?
「国民がオリンピックで夢中になっている間に、いろいろ証拠隠滅しておこう・・・」
そんなつぶやきが、永田町界隈で聞かれるような気がする。それはワガハイの妄想に過ぎない。そんなコトはあり得ない!と、いうコトであってほしい。
勿論、国民を代表する政治家の皆さんと、優秀な官僚の方々だから、信頼しなければならない・・・
ならない・・・
己に強制をかけなければ、信頼という言葉が出せない。
ま、そ~ゆ~コトである。
モトより信頼する必要はない。
ムリに信頼すれば、それは盲信にも近い。
小学校時代からガッコの成績優秀で、有名私立だったりして、英才教育で、超一流大学やら留学経験があり、そして現在に至っているという経歴が多いのかどうかは知らんけど・・・まあ、エリートコースもまた茨の道ではあるから、その努力たるや人並ではないのは認めよう。
だが、ナニかが欠落している。
(今朝は高校時代のある同級生を思い出す夢で目覚めた。お勉強優秀で、クラスのナニガシカの共同作業には関わらなかった。そ奴は高校教師になって、その後ど~なったのかは知らんが、当然ながら退職したはずだ。あいつが教師になって、どんな授業をやっていたのだろうか?結局、学校を卒業したくないから教師になった・・・的な輩だぞ。)
恐ろしかぁ~!
出世も、上司や周辺への気遣いという人間関係がモノをいう。人を評価するのは人だからねぇ・・・絶対的な神が評価するワケじゃない。
そんなワケで、そんなコトから「石破茂さん」という人物は語られる。イマイチ、党内の人気がない・・・と。
ワガハイ的には石破さんの語る内容については、全て了承するワケにはいかないけれど、人物としてはお会いして一献!と思う唯一の政治家ではある。
山本太郎さんも興味深いトコロはあるけれど、一献!とは思わない。何故なら慌ただしい一献になりそうな気がするから。
そうして、つまりは人間関係であるから、ワガハイ的には一献!という気が起きるのかどうか?というのがひとつの判断基準になる。
やっぱりねぇ・・・酒が不味くなる人とは、付き合いは続かないのだ。
で、要するに永田町界隈には酒が不味くなるような気がする人たちが集結しているのだ。
というコトは、日本という国がワガハイにとっては極めて都合の悪い状況にあるというコトを意味するのだろう。
だいたい「種類総合研究所」の在り方っていうのが気に入らん!今は広島にあるから永田町とは離れている立地ではあるが・・・「財務省所管の独立行政法人」だからねぇ。
問題の財務省ですわ!
「ザイム真理教」って言い方はねぇ・・・それにその発端はど~なのか?とは思うケド。問題だわなぁ・・・
だいたい新酒鑑評会が 変。
金賞やら入賞酒の中には、ど~にも呑めない悲惨な酒があるんだよなぁ。
悲惨な酒が金賞!
ワガハイは鑑評会の審査員のテースティング能力に疑問を呈する。
でもまあ・・・かつては北区滝野川にあった「醸造試験所」改め、「種類総合研究所」は広島にある。
というトコロから広島の話しになる(無理矢理感はあるけれど)。
原爆投下から79年が経った。
反核を掲げることについて、ワガハイは異議はない。だが毎年思うのは「ならば通常戦力ならば容認するのか?」ということ。確かに絨毯爆撃を喰らったドレスデンの復興と、広島・長崎の復興には違いがある。それは実際の作業においても、負わされた苦痛に関しても。
だが、反絨毯爆撃というコトだって言いたいし、そもそも全ての戦力を放棄するコトが求められること。
もっとも、とりあえずのプロセスとしての反核だとしても・・・なんか、煮え切らない感情がある。
そしてロシア、ベラルーシ、イスラエルの平和式典への参加に関するスッタモンダは、広島では騒がれているものの、ワガハイの居住する関東圏ではそのコトに関して大した報道がされていない。
オリンピック報道でマスキングされたか?
なんかねぇ・・・現在戦争続行中の為政者を並べて説教したくなる気分。そういう輩こそ、原爆ドームの前にひれ伏してもらわなければならぬ。
式典が継続されること、この日が記念されることは大切だと思う。だが、微妙にして確実に、哀悼の意のナニガシカも変化してきているなぁ・・・と思う。
それに爆心地で即死だった方々の言葉は残ってないしねぇ・・・被爆者の言葉しか残っていない。言葉無き言葉・・・そんなのに耳を傾けたところで幻聴?お前の勝手な想像と妄想に過ぎぬ。大切な根幹を壊し、混乱させる・・・そういうコトで封印されるのが異端者扱いである。
そうしてどこの宗教でも弾圧があった。そしてそのような弾圧、無視は宗教に関わらず組織・集団では起こり得る。
謹んで哀悼の意・・・しかない。
無言の言葉・・・ワガハイはナニを語るのか聞くコトが出来ない。
恐山に行けば聞くコトが出来るのだろうか?
それは除外するが・・・無言の言葉に向かうコトを強く意識した、今夏の式典中継だった。