プランター栽培の小松菜は既に収穫を終えている。そして余りにも小さくて収穫しなかった数本が花を咲かせた。小さな身体が咲かせる花はささやかだ。だが、かえって目をとめてしまう。
こういう個体の種を採取して、再び蒔くコトを繰り返していくと、小さな小松菜が出来るようになるのだろうか?それは、ミニ小松菜とでも言ったらいいのだろうか?素人の栽培だから、商品性を考えなくていいから、ちょっとやってみようか?
とにかく、このままで状態を観察し続けてみようと思う。
コロナ禍での行動制限が緩和されて、マスクの着用率も少しずつ下がっていると思う。ただ、感染者数は下げ止まって微増傾向になっていると感ずる。だが、いちおう政治的には「緩和」に舵を切ったのだから、ひとつ局面が変わってしまったワケだ。
それは・・・・力技だと思うケド。
だが、世の中的に流れが変化し始めているのだから、この3年間、コロナ禍で様々な経験をしてきて、ナニか得られたコトはあったのだろうか?と、整理しておくには一つのタイミングでもあるだろう。
ワガハイ的(個人的)には「政治は政治に都合の良いトコロをつまみ食いするだけだ」というコトが、改めて確認された。しかもより強い実感を伴って。
ワクチンの調達からアベノマスクまで、いろいろ問題点が新聞などに記述がみられるし・・・でも結局のところ、政治家のメンツ、虚栄心を満たすという、それは専制主義だろうが独裁だろうが、民主主義を掲げていようが変わりないからねぇ。
かつて、宗教の力をもって国を治める手法が用いられた。東大寺の大仏だってそうして出来た。ローマの件は言うまでもない。だが、そのココロは・・・やっぱり宗教の都合の良いトコロだけのつまみ食いだ。
もっとも、宗教を完食したら、それは政治ではなくなってしまうだろうが。
だが、つまみ食いならともかく、都合よく解釈できるところを用いた、ってなワケだ。これはあまりにも乱暴な言い方ではあるが・・・同じようにして疫学が易学になったかのように、コロナ禍では用いられたように思える。それはとても科学的とは言えない。
科学もまた、美味しいトコロだけつまみ食いされた。そして不都合なトコロは無視された。こうして世の中は動いていく・・・というワケで、科学というか、科学的なモノの見方や考え方っていうのは、やっぱり人間という動物には相容れない点があるのだなぁ。
「人間」は合理的ではないからねぇ。
好き嫌いをせず、よく噛んで食べましょう!
ある人がぶっ倒れて、「断酒!もう二度と酒は呑めません!」と医者に告げられた。だが、「もういいだろう・・・」と勝手に判断して・・・聖餐式でねぇ・・・
「コレは酒じゃない!イエスさんの血だから」
というコトで極少量を口にして・・・再びぶっ倒れて入院して・・・・旅立たれた方もおられた。
残念ながら、司祭が聖別しようがアルコールはアルコールである。身体は正直である。そしてこの方は、信仰を方便に利用したとみるコトも出来なくはない。ならば神は率直である。(コレ、神とは何ぞや?のワガハイ的には答の一つなんだけど・・・)
さて、明日は「神奈川県知事選」で、候補者は四人。選挙公報を広げながら公約を読んでいく・・・ワガハイ的には全候補者が落選である。それはマイドのことだが・・・さて、どなたに一票とするか。
現職に入れるとするならば白票とする。その方針だけは決まった。
イースターに選挙ねぇ。
ま、そのコトは政治に関わりのないコトというワケで、い~~んじゃねぇ⤴
初当選にしても、再選にしても、復活とナンの関わりがあろうか。