上に置いたのが履いているジーンズで、サイズ的に快適なモノ。下は新品を買ってから数回洗濯したモノ。
購入時に試着し、洗濯後の縮みを考えてやや大きめサイズを選んである。そういう方法で、今まで失敗したコトはなかった。だが、今回は予想以上に縮んでしまった。
で・・・履けない。微妙な差で履けない。
ま・・・履けないコトもないけれど、無理して履くと腹部を圧迫するためか胃腸の具合がイマイチになる。
というコトで、コレはどうにもならない。
頑張って痩せる?
妻曰く「いやだ!お腹まわりが出てきたねぇ~」とニタニタしているが・・・他のズボンは問題なく履けるのだからなぁ。この縮んだジーンズに合わせるために頑張って痩せたら・・・他のズボンは当然だがブカブカになってしまう。
というワケで、もう一本ジーンズを調達しなければならない。そんなに緊急性はないけれど。かえって古着の方が収縮を気にしなくてイイのかもしれない・・・とも思ったが、値段が高かったりして。
ふつ~にイオンで買うかねぇ?あちこち探し回るのも面倒だから。
ドンドンものぐさになっていくワガハイ。
さて、縮んで履けなくなったジーンズに目を付けたのは妻。
「履ける!」
と喜んでいた。そして・・・
「股下がピッタリだ!」
・・・・・・・
大きなお世話だ!!
ど~せあんたは足が長くて、ワガハイは短いですよ。ど~~~ながですよ。
裾は短めにしてあるにせよ、身長比率からすればあなたの方が足が長いですよ!
だからど~~~したって言うんだ!!
足の長さで人の価値が決まるとでも言うのか?
(いや・・・まて!そうだったりして?)
また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。(マタイによる福音書 5章36節 新共同訳)
ホラ!この一節を言い換えれば・・・
「また、あなたの足に誓ってはならない。あなたは長くも短くもできないからである。」
驚異の異端書であるヨハゲの記述によれば、このようにも書かれている。
「また、あなたの頭髪にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは生えるも抜けるもできないからである。(ヨハゲによる福音書 悦朗訳)」
つまり、禿げるも禿げないも自由にできない・・・というワケである。
さて、ここから一つの真実が浮かび上がる。ヨハゲとは「余はハゲである」に始まるキリスト教異端信仰の書の冒頭文だが、つまり「余禿げ」である。そやつが言うには「イエスさんは決して禿げてはいなかった」らしい。何故なら「禿げに禿げと言えるのは禿げだけの特権である!」というコトだと・・・だから流石のイエスさんも「禿げるも禿げないも自由になんねぇだろ」とは言えなかったのだ・・・と。「白くも黒くも・・・」が限界だったんだ・・・と。
たぶん、禿げからすれば嫌味に感ずるほど、イエスさんの頭髪は立派だったんである!そしてこの「白くも黒くも・・・」という言葉の裏には、相当な配慮・・・つまりイエスさんの愛があったんである!
なんと素晴らしいコトか!
一方・・・「股下がピッタリだ!」というコトバにはナニが込められているんだろうねぇ?
まあ、別にいいけれど。
ツル多はげます会|はげの光は平和の光 暗い世の中 明るく照らす (hagemasu.com)
いやいやいや・・・ワガハイなんぞ、足元にも及びませんな。恐縮です!(近所だったら入会したい)
無論、頭髪の具合で人の価値が決まるワケはない。そもそも人の価値に差異があるのだろうかねぇ?
注:「ヨハゲによる福音書」なんてないからねぇ。