「寒いですね。」
「ホントに寒いですね。」
「ホントにホント、寒いですねぇ・・・」
「いやいや、強烈ですねぇ・・・」
「ハァ~~~」
「ア”ア”~~~」
・・・・・・・・無言。
寒い話しが相変わらず多い。そして当ブログもこのところず~っと真鶴半島の画像を使っているが、本日で終わる。
それは「真鶴半島冬景色」のネタが終わるから。
まあ、「津軽海峡冬景色」ほどシビアな風景ではないからねぇ・・・もっとも津軽海峡って行ったコトないんだけど。能登半島の冬の海景色を思い出しているのだ。
通常、真鶴半島からの風景は、この画像のようにビル群が立ち並ばない。コレじゃあ、ず~っと香港みたいな都市計画がベタで続いているような感じになってしまう。だから蜃気楼なのだ。
寒いは、腹は減るは、美味い魚料理の看板が目に入るのにアレルギーで禁欲状態に置かれるは・・・海を見れば蜃気楼だわ!ナンか、非現実的な妄想の世界に入っていってしまいそうな危険な風景だ。
せめて暖かい季節ならば妄想は始まらず、案外、冷静なもんだ。やっぱり寒すぎても暑すぎても、ストレスが掛ると妙なコトを思い考え始めるだろう。(だから・・・紛争当事者は冷静を装っていても、判断を誤るだろう。そして紛争に外から関わっている者も、切迫感がなければ無責任だ。)
昨日のニュースでは、高速道路で立往生、鉄道も止まって乗客が閉じ込められてしまった。雪の怖さ、困難さって、やっぱり多くの方々がまだまだナメているよなぁ・・・と思う。
教訓を生かしている人もいれば、全然響いていない人もいる。
またも、ノーマルタイヤ、タイヤチェーンの準備なし。道路は一台がスタックすれば終わるからねぇ。鉄道は対応に相変わらずの不備・・・非常時の対応への想像力の欠如、っていうか、乗客への優しさがないねぇ・・・JR西日本。
大阪と京都の間を走るJR東海道線で24日夜~25日朝、15本の列車が線路上でストップした。乗客約7000人が列車内に最大10時間閉じ込められ、救急搬送された人も。「トイレに行けず失禁する人もいて、まるで地獄絵図だった」「車内アナウンスは『間もなく運行再開します』とずっと言っていたが、一向に動かなかった。」
満員で「酸欠のような状態になった」と話す乗客もおり、トイレにも長蛇の列ができたという。体調不良で乗客16人が救急搬送された。乗客が「体調不良の人だけでも降ろして」と頼んだが、対応してもらえなかった。
ストップ、閉じ込め、トイレに行けず、再開と言いながら動かず、満員で酸欠、体調不良でも降ろしてもらえなかった・・・切羽詰まった状況の改善の見込みが無かったワケだ。
コレって、なんかマイド繰り返される問題で、改善出来ないモンなのかなぁ?
・・・わたし(たち)は、思いと、コトバと、行いによって、多くの罪を犯しているコトを懺悔します・・・(聖餐式文より・若干改変)
まあ、礼拝では「個」だから一人称単数だけどね。でもまあ、わたしたち全体が、多くの勘違いや浅はかさの中で生きていると・・・ソレで世の中が変なコトになっていると・・・そう考えると、このキリスト教会聖餐式文の一節っていうのはナルホド!と思うのだ。
正常性バイアス・・・それも無けりゃ身が持たん!かもしれないが、「糠に釘」だからねぇ。まあ、まわりの空気を読み、同調し・・・そして結果は無責任、とは・・・コレもまた昔から言われ続けているからねぇ。
改善の見込みは当分ございません・・・と、人間はそう簡単にはかわりません!と、そ~ゆ~コトでゴザイマスな。
天気予報という観天望気よりも、相当に根拠に基づいた科学的になった手法を得たにもかかわらず、都合のよい思いと、コトバと、行い・・・によってタイヤチェーンを携行しなかった・・・と。或いは持っていても使い方を知らなかった・・・と。
寒さのストレスひとつでも、カメラの構図が決まらない。やはり安定した行いには安定した環境が必要だ。で・・・不安定な社会を意図的につくりだし、不安に陥れるコトで隙を突こうと狙うのが手口なのかどうかは知らんが、不安や恐怖のストーリーで備えていくならば、防衛ってぇヤツもしくじるんじゃね?
ネガティブな仮説と、ポジティブな仮説は、その両方を用意しておこう。そういう意味でなら、森喜朗元首相の発言も・・・まあ、そ~ゆ~コトを言う人もいるだろう・・・と。まあ、意見の多様性は大切だし・・・言論の自由があるからコソだし。
森喜朗元首相は25日夜、東京都内の会合で、ウクライナへの日本政府の支援について、「こんなに力入れちゃっていいのか」「ロシアが負けるということは、まず考えられない」「(ロシアとの関係を)せっかくここまで積み立ててきているのに」とも述べた。
まあ・・・考えられないコトが起こるコトもあるのが世の中なのは、経験豊富な老人こそ思い知っているコトだと思うケドねぇ?
まわりの空気を読み、同調していく日本の特性は、科学とは違った習慣だろう。そうして「コロナ2類から5類へ」「マスク着用について」の発言で、経済効果を優先させて行くように仕掛けているが、その実態は見栄えと、欧米追従・・・というか「ついて行きますねぇ・・・アナタ!」ってなワケだ。コレもまた一種の思考なんだろう。
そのアメリカの感染症研究の第一人者アンソニー・ファウチ博士によると、
・現在、アメリカでは死者数は1日あたり約400人と、劇的に減少した。とはいえ、これはまだ受け入れがたいレベル。
・公衆衛生上の対応についてアメリカはうまく対応できなかった。アメリカでは新型コロナによる死者が100万人を超えており、これは世界中のどの国よりもひどいから。
・対人口比で死者数を見ると、日本は相対的にうまくいった国。日本がうまくいったのは、マスクの着用を相当しっかりと守ったからだと考えている。・日本では『3密の回避』、閉鎖的な空間を避け、人混みを避け、密接な接触を避けるようにしていた。
・日本でも感染者の割合が低いうちは、マスクをつけるかどうかは自分で判断し、割合が上がってきたら、屋内でのマスク着用を推奨するべき。地域ごとの感染レベルによって変えるべき。
上の太文字にした引用部分に関して、対応が上手に出来るかどうかは重要だと思うんだが・・・何故かこのあたりの問題になってくると曖昧さがなく、然り!か否!か、のデジタル的な思考になってしまう方がおられるのが、ワガハイ的には不思議。それもまた多様性だといえばそうなんだがね。
このところ短めのブログだったが、本日は長い。アッチ見てもコッチ見ても寒いコトが多いから、今晩は燗酒に鍋かなぁ?