Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

夏は寂しさが伴う・・・JAL123便・御巣鷹山

お盆(盂蘭盆会)は7月15日だったり8月15日だったりするが、ワガハイ的には8月の方がお盆という感覚が強くなる。それは子供の頃、7月15日だと学校があるし・・・やっぱり親戚が集まりやすいのは8月だったしねぇ。

だが、地域によって7月と8月のお盆があることに、子供心にも合点がいかなかった。あの世に逝ったご先祖様が帰ってくるというが、その都合ってこちら側の都合に合わせられるものなんだろうか?いったいダレがあの世の都合を聞いてきたんだろうか?

そういう質問は祖父にした。小学校低学年のワガハイとしては、小学校教諭を退職した祖父は、いろいろ質問攻めにしやすかったのだ。それに無理難題にも辛抱強く相手してくれたからなぁ。両親なんぞ全く相手しにしてくれなかったからなぁ・・・「お爺ちゃんに聞きなさい!」って言われてオシマイだった。

ワガハイの両親・・・ナニにつけても「お爺ちゃん・・・!」だったから、祖父は便利な存在だったんだろう。

ガッコの先生だったんだから、ナンでも知っている、ってな感じだったねぇ。

というワケで、ワガハイは両親よりも祖父の思い出の方が多い。

コロナ禍で帰省を我慢した2年だったが、今年はさすがに我慢しきれない。そういう人も多いだろう。両親も老いていくし、このチャンスを逃すと元気な姿で時間を過ごすことが出来なくなってしまうかもしれない、と思うのは、ジ~チャン、バ~チャンとて募らせているだろう。

多大な誤差あれど、抗原検査キットで陰性を確認して帰省する。やれるコトはやって帰省する。それが現実的だろうなぁ。ま、ワガハイ的にはお盆は混むからタイミングを外して、少し感染状態が落ち着いたところで妻の実家に行こうかね。

 

夏はなんか寂しさが伴う。原爆、終戦(敗戦)記念、お盆・・・慰霊の機会が多い。夏休みで嬉しい反面、子供ながらに複雑な心境になったもんだ。

そして1985年8月12日、ワガハイはノンビリと暑い夏を過ごしていた。夕方、バイクで神奈川県小田原市の酒匂川河口に出掛けて、箱根の山並みや海を見て・・・ホントウはビールを飲みたいところだが、飲酒運転になるから・・・なんか炭酸飲料など飲んでいたんだろう(SAPPORO・・・とか書いてある缶じゃなかったと思う)

そんな時、伊豆半島南部上空でJAL123便の圧力隔壁が壊れたんだなぁ・・・ワガハイがノンビリと海岸で涼んでいた時に、水平線の先で大変なコトが起こっていた。視界には機影は見えなかったと思うけど。

それで、帰宅したらテレビで大騒ぎだった。なんか、報道規制されていたのかどうか知らんが、なかなか墜落現場がハッキリとしなかった。

ワガハイ、若かったからねぇ・・・群馬県と長野県の境目辺りってぇのは、バイクでウロウロしていて土地勘があったから探しに行こうとした。それで荷造りしていたら親父に「ナニしてんだ?邪魔になるから止めろ!」と言われてキーを取り上げられてしまった。「意地でも行くならパンクさせるぞ!」とも言われた。

ま、ワガハイが行ってもナ~ンも出来ないというのは確かだろうな。でも、イライラしたねぇ。多くの人が救出がなかなか始まらないコトにイライラしたと思うけど。

でも、当日の報道の情報から地図を拡げてアタリをつけると、「三国峠」「ぶどう峠」「神流川源流域」の界隈だろうと思うワケだ。「サッサとヘリ飛ばして降下して、生存者確認しろよ!」って、アツくなってひたすらイライラしていた。

123便の乗客乗員に知人はいなかったけれど・・・緊急事態の対応の遅さに不満だった。

 

緊急事態の対応の遅さ、不手際に関してはコロナ禍ではマイドお馴染みだし、東日本大震災の時も、もう少しナントカならなかったのか?と思うのはワガハイだけではないだろう。

台湾有事の際は・・・だってさ。緊急事態対応の遅さに関して、問題の国々のアタマの回転が早い方々からすれば隙だらけで笑っちゃってるんじゃない?大丈夫かねぇ、日本。

 

とにかく、御巣鷹山への慰霊登山は実現していないが、国道299号沿いの慰霊塔では手を合わす機会があった。長野で仕事があった時に、チョロッと寄り道したのだ。佐久から十石峠を超える299号は、今も道が細いし走り易くはないケドね。

 

123便ボーイング747-SR、航空機関士が乗務していた時代だ。機長の高濱雅己さんは、勿論お会いしたコトなんてないけれど、後日、JALの747機長と偶然同席するコトがあって、高濱機長のコトを伺った。もの凄く優秀な機長だったそうだ。まあ、細かい話は門外漢のワガハイには理解出来なかったんだが、同じ747の機長さんの話だったから、限界のコントロールをされていたというコトしか理解出来なかった。

操縦席に座るとき、時折、高濱機長のコトを思い出し、身を引き締めて安全運行を誓ったらしい。ま、機体整備の領域では機長の責任範囲を超えてしまうんだろうが。

墜落の瞬間まで頑張った乗員の方々にも涙が出るねぇ・・・そしてもう何人かの命が救えなかったものかねぇ。

 

針刺し見ると祖母を思い出すねぇ・・・コレは妻のモノだけど 撮影:2019年8月12日