Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

玄関の鍵交換作業自体は5分・・・目黒川辺りで踊り念仏?

玄関の鍵

このところ玄関の鍵が時折不調になる。鍵穴に鍵が入らなくなるのだ。

こういうトラブルは、昔の鍵ではまず起こらなかった。シンプルなギザギザがカットされた鍵だったからねぇ・・・シリンダーと鍵の遊びというか、ゆとりというか、つまり差し込んでもユルい感じだったよなぁ。

で、簡単に開いてしまうピッキングに無防備な鍵だった。

上画像の扉につけられていた最初の鍵も、そういう鍵だった。一時期、やたらに騒がれたピッキングだが、「MIWA LA・MA」って、ピッキングで簡単に解錠されてしまうコトで有名になってしまった。ワガハイも、こりゃあ対策しないとイカン!ということで交換した。

鍵屋さんには交換依頼が殺到したんだろうが、訪ねた鍵屋さんは親切とはいえない対応だった。で、ワガハイ的には鍵のコトなど詳しくなかったんだがホームセンターの鍵売場を見てみると・・・やっぱりシリンダー交換はブームになったんだろう・・・丁寧な交換方法の図解まで付いた紙とともにシリンダーが売られていた。

基本、DIYでやれるコトはやるという方針なので、自分でシリンダーの交換にチャレンジした。それで・・・問題なく交換出来た。交換したシリンダーは、その当時ではピッキング対策が高いレベルのモノで、イスラエル製だった。

 

それから月日は経った。このシリンダーもピッキングされる事例が報告されているし、その技術は確立された??みたいな感じだったので、ソロソロ交換した方がイイなぁ、と思っていた。それで、時折そのテのWeb.情報を見ながら、最近のシリンダー事情を調べたりしていた。

なんていうのかねぇ・・・だいたいそういうコトを始めると、機械モノって壊れたりするんだよな。コチラの意志を機械が察するっていうコトはないはずだが、つまりコチラ側がソロソロまずいかなぁ・・・という予感みたなコトによって、故障のタイミングが合致するんだろう。

元々、ピッキング性能の高い鍵って、アソビが少ないから鍵の抜き差しは渋い傾向があってシカルベシ・・・とは思う。だが、掃除しても渋さは増し、頻繁に差し込めない状況が出て来たというのは、鍵の信頼性が落ちている。ピッキング問題というよりは、日常的に帰宅した時に家に入れない、或いは出掛けようとしても鍵が掛けられないから外出が出来ない、というコトになってしまう。

思えば、20年弱使っていたコトになるかもしれない鍵である。交換ですな。それに、鍵自体も微妙にすり減ってきていたみたいだ。使っていなかったスペアーキーの方が、まだマシな傾向だったからねぇ・・・ディンプルキーってヤツは、やっぱりデリケートなんだろうな。

役目を終えたシリンダー

狙っていたシリンダーは、ネット購入よりは1000円ほど高かったが、ホームセンターで見つけたので即購入した。思い立ったが吉日である!サッサと行動しないと機会を失う。この頃、ますます腰が重いからねぇ。

 

交換作業自体は5分程度だった。+ドライバーとニッパを工具箱から取り出して、扉が閉らないように楔を入れたり、製品を開封して説明書を一読したりといった段取りに15分位・・・片付け時間も入れて30分と掛からない作業だった。一応、人件費分はワガハイの労働で稼いだというコトだ。

 

これで鍵に関しては暫く大丈夫だろう。そのうち・・・といっても忘れないうちに専用の鍵クリーナーを購入しておこうと思う。パーツクリーナーでは、油分を洗い流し過ぎてダメなのかもしれないからなぁ・・・。このあたりは、アタマを石鹸で洗うかシャンプーで洗うか?みたいな差が出てくるのかもしれないからなぁ。

 

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さて、昨日は言いたいコトが山ほどあって整理がつかなかったブログであった。だから書いたモノを大量削除になったのだ。

それは相変わらずの状態なんだが、出来るだけ絞ってみようと思う。

 

安倍元首相銃撃のコトだ。容疑者の供述内容に関しても、報道されているコトが全てではなかろうし、まして供述って本当のホントのところを話しているかも分からない。

それに、われわれ庶民という動物の分からない世界で生きているのが政治家という動物であるから、裏事情があったとしても・・・ねぇ。

多分、庶民の常識と完全一致しはしないだろう。だから、結局は真相は理解出来ないんだろう・・・というコトは、未だ政治は神秘主義の中にあるように、庶民の位置からは見えてくる。

無宗教というスタイルによって国葬を行うとしても、弔いというのはデリケートな問題だけに、岸田首相の発言の早さは・・・ナ~ンか裏にありそうだなぁ・・・と勘ぐってしまう。「人の話に耳を傾ける・・・」みたいなコトを語っていた方だから、庶民の声も聞くコトは聞くんでしょ?

 

宗教を妄信するコトと、政治を妄信するコトはどこか似ている・・・というか統治に関しては出所が同じ・・・つまり神殿政治ってぇヤツだ(神殿内の統治に必死っていう面もあるだろうがねぇ)

統治っていうのは、いかに神秘主義から距離を置いていくか、ッてぇコトが近代以降なんじゃない?だから政教分離なんである。だが、永田町自体がどこか神秘主義を内包しているように見える。政治には政治の神が宿っているかのようだ。政治という宗教?

ま、最近はあまり使っていなかったケド、「人間」が宿る問題だな。

 

血税国葬という議論も当然出てくるが、ワガハイ的には、行うならばもっと静かな偲ぶ会にした方が現代的ではないだろうか、と考える。繰り返しになるが、弔いというのは意味・位置付けとしてデリケートだからねぇ。

 

歴史的に政治(統治)との癒着に関してはキリスト教のコトとかが直ぐに批判されるが、日本でも分かりやすいところでは・・・鎌倉観光すると、なんで臨済宗のお寺ばかりなんだろうねぇ?

ついでに書くと、鎌倉の縁に位置する江ノ島界隈には「龍口寺」があって、片瀬浜で一遍上人が踊り念仏やって、時宗総本山の清浄光寺遊行寺)がある場所っていうのも、鎌倉幕府との位置関係からすると、イヤイヤ、なかなか・・・そ~ゆ~コトなのねぇ・・・って感じたりするケドねぇ。

 

現代的には目黒川辺りで、ワガハイも踊り念仏ならぬタコ踊りでもすればイイのかねぇ?秋刀魚じゃなくてクサヤでも焼くのかねぇ。