端材の合板で箱を作り、一応気休めの防水処理として余っていたペンキで塗装した。そこに土を入れて、昨年はナスを栽培した。今季は土を半分入れ替えてバジルなど種蒔きをした。今のところ順調に生育中だ。
妻が種蒔きしたので・・・それで水遣り係はワガハイなんだが・・・どうも初手の発芽の印象が弱かった。コレって本当に印象なんであって、客観的にナニガシカを示して説明するコトが出来ないケド。
立ち上がりが鈍いならばペンタガーデンがあったので、指定濃度より薄めに希釈して水遣りを行った。それが功を奏したのか分からんが、今のところイイ感じに思われる。
かつてHB-101を使ってみた時もあったが、現在は一応ナニガシカの時の対策のためにペンタガーデンを1本用意してある。HB-101って少し使っても強力に効く印象があるんだが、な~んか葉の色が独特の発色になる感じがする。それが本来的な植物の持つ葉緑素パワーによるものなのかもしれないが、効き過ぎる感じっていうのも気分がよろしくない。
ペンタガーデンも、指定された濃度で定期的に用いると、な~んか不自然な印象の葉色になる感じがする。低濃度でリカバリー的に用いる分には、ワガハイ的にはHB-101よりもコントロールしやすい感じがしている。それに多分、HB-101よりも安い。
妻が土を配合して種蒔きしたので、多分・・・元肥が不足していたんじゃないかとも思う。最も肥料過多よりは圧倒的にマシだが。
肥料過多っていうのは病害の発生原因だし、たとえて言うなら塩加減が多すぎた料理のリカバリーが困難な状態にも似ているかな。ならば薄めに料理して、足りないならば後で足せば良い。
勿論、ピッタリの状態で決められれば、それに越したコトはないケドねぇ。自信や確証が無いならば、若干薄めの肥料や塩分だねぇ。
というコトは、コレって参院選候補者選びにも通ずるんだろうか?明らかにキャラクターの強い候補者は、後で引くのも困難だから・・・キャラクター薄めの候補者に当選してもらって、後から状態に応じて塩加減や追肥を考える??というようなコトが出来るならば、永田町鍋の完成度も幾らか増すかもしれない・・・?
昨日の当ブログで書いたように、日々確実に候補者に線が引かれていく。まるで原稿の校正をやるかのように赤ペンを入れていくと、なんだか真っ赤っかの紙面になっていく。ホント、真面目に候補を選ぼうとすると文字校だけでなく、色校まで始まりそうな気配となる。モノクロ紙面だけどスミ濃度に指定を入れたくなってくる。
なにせ、候補者によってはスミ濃度高すぎ・・・的なコトもあるからねぇ。
ん~~~~、初稿としても完成度低めなんだよなぁ。これで当選して国会議員になると、結局トーンがガクッと下がるんだろう。高速オフセット印刷機で、インクをケチった感じかなぁ。刷りだしに立ち会ってチェックしても、終わりの頃にはスカスカだったりしてねぇ。印刷代ケチると、やっぱりインクがケチられちゃったりしてね。
やっぱりインクの盛りは重要ですな。盛り過ぎても乾かないケドねぇ。
テレビでは首相が応援演説やったとか、いろいろ大騒ぎ状態が報道されていて、大都会東京では盛り上がっているンダロウか?ワガハイの居住する地域は静かでよろしい。大音量で演説されると、かえって選挙に行きたくなくなるからな。もっと落ち着いて静かに政策を正確に語って欲しい。
以前、ドイツ人の知人が日本の選挙を面白がっていた。
「日本の選挙って思想が無いんだなぁ・・・ナニが決め手で動いている社会なの?」
それは、まだ1960年代末だったか70年代に入っていたか・・・といった時代だったと思うが、ロラン・バルトが日本の「空虚な中心」に関して面白がっていたコトを思い出させた。そのドイツ人には大雑把だが、バルトの言葉を不正確な記憶ながら教えた。
その後、一冊の本が出版されて、その中に要領よくこのコトが書かれていたので、一部を備忘録も兼ねて引用する。
東京の中心は皇居であり、そこには誰も入ることができない。フランスでは町の中心は教会であり、人びとが集まってくる濃密な中心である。東京では中心が空虚になっているではないか、とバルトは驚く。あるいは料理の場合・・・(中略)・・・揚げ物は、フランスでは具のまわりに分厚い衣のついた重ったるい食べ物であるが、日本の「天ぷら」は中心の具よりも軽やかな衣のほうを食べているかのようである。(ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家 石川美子著 中公新書 p.90)
ワガハイは天ぷらという調理法に関して、高い温度帯で調理する一方法だと理解しているので、衣が主体になるコトはないと考えている。それに上質な揚げ物は衣や油を感じさせない。
だが、一般的にはバルトの言うような天ぷらが多いとは思う。それに、衣にタップリと汁を浸けて味わうというのが、庶民的な嗜好ではないかとも思う。
「刺身は醤油を味わう為のモノだ!」
と言って、どんなに鮮度のよい魚でもビショビショに醤油を付けて美味そうに食べていた男もいたからなぁ。その男、ラーメン屋で醤油を足して食べていたからねぇ。こういう人だと、皇居の中心にも醤油はあるだろう・・・とか言いそうだ。
東京では中心が醤油だ!・・・?
ま、バルトの記述から分かるコトは、ソレなりに美食家だったんでは?とも思う。
今季はバジルの生葉が使える・・・一度ちゃんと生地からピザを作ってみるかねぇ?ベーグルみたいに中心に穴が開いているピザだったりして。「このピザ、山手線みたいだろ?」なんてね。
この夏、ソレをやる元気が出るかなぁ・・・ま、先ずはマルゲリータ!