冬の間を彩ってくれる花というのは限られるので、ビオラ、パンジーはとても有り難い。ホームセンターでも安価に様々な種類が売られているから入手も容易だ。
ハッキリ言って、旨酒を入手するよりも簡単だ!
まあ、園芸品種だから、野草や原種に近いもののような面白さはない(原酒と変換したな)。
だが、園芸品種でも追求し始めたらヤバイほどズブズブになる危険性を感ずるのが朝顔だ。朝顔は危険過ぎる。江戸時代の園芸ブームっていうのは大変なモノがあったらしいが・・・まあ、盆栽っていうのも、ど~もワガハイの年代では年寄り趣味の冴えないモノっていう位置付けだったんだが、国内評価よりも海外評価の方が高くなってしまったみたいだからなぁ。
結局、日本ってナンだ?って話になると、現代の日本ではなくて”それはかつてあった”モノになってくるみたいだ。
まあ、雑食性の強い現代社会では、それは日本に限らず全世界でその傾向は強まるばかりなんだろうが、と同時にそれぞれの国や民族独自の個性っていうのも、薄くなってしまうのは仕方ないものの、失ってしまうのはもったいない。これもまたテロワールのようなものであって、熱帯での生活習慣から生じた文化を、そのままツンドラ地帯にもっていったとしてもど~にもならんし、その逆もまた然りである。
イイと思われるコトも他者の領域では使い物にならんコトはあるもんだ。下戸に旨酒を手土産にしても意味がない、って言ったほうが端的な説明になるかなぁ?
ゴタゴタ揉めるならば、「神の前に沈黙する」というコトだって必要なんである。
宇宙人が攻めてくれば、地球上での地球人同士の争いは収まる・・・なんていうコトが言われたわなぁ・・・でも、宇宙人が戦争を仕掛けてくるクラスのコト(地球温暖化問題)が起きているにもかかわらず、ウクライナ侵攻になってしまう。
人間という動物の愚かさを嘆きながらも、同時に真逆の素晴らしいコトも現われるのが極限というコトではあるんだろう。人間という動物も、まだまだ捨てたもんじゃない、という思いも沸き起こってくる。
さあ、この状況で人間はいよいよナニを学ぶことが出来るのだろう。いい加減に、同じコトを反復練習するような社会から脱却したいもんだ。せめて、その意味を深掘りするところに向ってほしい。
ゴタゴタ揉めるならば、「神の前に沈黙する」というコトだって必要なんである。
例えるならば、花畑にミサイルを打ち込む人間の感性に付き合う時間はない。都というのはある意味”花”である・・・と、言われたものだ。花よりも尚更・・・の人に武器を向けるコトが、どれだけ神を冒涜しているコトなのかは、火を見るより明らかな筈なんだがねぇ。
「神は農夫である」という。待ち続ける農夫の忍耐強さ(ヤコブの手紙5章7節)とは、芽吹き・・・つまり春の雨が降るまで忍耐しながら待つ・・・という四旬節の生き方を示している。まあ、あらためて言うまでもない基本的な内容なんだが、これは[2022年 四旬節教皇メッセージ(2022.2.25)]を斜め読みしたワケだ(一応、フランシスコ教皇がナニ語っているのかは時々目を通す・・・世界に影響力多大だからなぁ)。
戦局は否応なく動くだろう・・・春は大地を動かす。
わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。(ヤコブの手紙 5章 12節)
宗教問題を離れて、仏典や聖書、論語などは一読しておくコトをお勧めするなぁ・・・そりゃあ、理解不能なコトも沢山書かれているが、それは仕方ない。何故なら、社会の前提が書かれた時代と一致しない点があるからだ。だが、いまでも有効と思われるコトも沢山書かれている。
「養生訓 貝原益軒 著」も、いまでも有効な健康法が沢山書かれていて、お勧めだけどねぇ。