Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

自然治癒することのない傷・・・LPレコードがブームなんだってねぇ

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アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ

若い方達では、レコードがブームだという。年寄りとしては嬉しいような気もするが、わざわざ取扱いの面倒なモノに回帰するのもなぁ・・・と思う。取扱いを誤れば、盤面に傷を付けて「パチッ・・・パチッ・・・ボコッ・・・パチッ・・・」といったノイズになるし、それは自然治癒することのない傷だからな。いくら昔のメディアだからといって、赤チン塗ったって治りはしない。

少し傷が深くなると、繰り返すノイズでは済まされずに音飛びが生ずる。まあ、音飛びはCDでも起るし、CDの盤面に傷が付けばデーターを読めなくなってしまうから、どのみちモノの表面を読み取る記録方法である限り、傷のダメージからは逃れられない。

完璧なモノは存在しない。だが、CDの傷に関しては意外と酷い傷でも再生出来たりするからなぁ・・・本当に正確に言えば、嘘っぱちの補正データで埋められていて、何となく聴感出来ない範囲で音楽は流れてしまうのかもしれないが。

 

レコードは再生する前に、儀式のように盤面をクリーニングし、その毎回の儀式の丁寧さがメンテナンスの一環なんであり、盤面の寿命にも影響してくる。再生が終わってからも、クリーニングしてからジャケットに収納する・・・ああ、面倒である。

再生前のクリーニングを怠ると、再生音がビリ付いてくる。そしてカートリッジの針の先端をみると、綿埃のようなものが纏わり付いてしまっていたりする。あの状態を見ると嫌気がさすもんだ。

なんかねぇ・・・音楽を楽しむというよりも、先ずはオーディオ装置の置かれた環境をクリーンにすること!これに情熱を注がねばならない。どんどん神経質になっていく。で、結局はオーディオ装置一式全部外して拭き上げて、床などワックスがけまでするという大掃除となる。特に接続コード類は綺麗に拭くんだが、どうしてコードってぇヤツは、あんなに汚れるんだろうねぇ・・・という程、雑巾が汚れるねぇ。

ああ、ターンテーブルのゴムシートは中性洗剤で洗ったな。レコードプレーヤーってぇヤツは、トーンアームなど精密天秤みたいなモノだから、そ~っとそ~っと拭いて、あまりにも微妙でコワイ所はカメラ用のブロアーで吹いたりしてね。

ま、こんなことを半日かけてやって、昼飯終えてようやく午後からレコード鑑賞となる。まあ、午前中の作業の疲れもあって、なかなか染み入るような音楽鑑賞の時間を過ごすことが出来る。

 

ワガハイとしては、もう・・・あの世界には戻れない。体力が無い。それに若かった頃よりもハッキリと聴力の衰えを自覚しているので、オーディオ装置に金かけるのも馬鹿らしく思えるようになった。野鳥の鳴き声を聴いていると、昔の記憶とは違って高域の痺れるような音がハッキリと感じられなくなった。まあ、ワガハイは人間という動物なんだから、人間という動物の声が聞き取れればそれでイイってワケだな。

酒が熟成されるコトに似て、人間も熟成されてくるとカドがとれて、いろいろ削ぎ落とされていくというコトなんだろう・・・と、酒に例えて納得しようとしている。

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LPレコード全盛期だったねぇ・・・

演奏スタイルってぇヤツも時代の変遷があるようで、音楽史ならぬ「演奏史」という領域もあるらしい。でもまあ、レコードとはその名の如く「記録」であるから、その内容は時間を経ても変わるモノではない。

ただ、盤面の材質は微妙に変質していくと言われていたし、それに伴って音質も低下していくと、昔の評論家は語っていたが・・・どうなんだろうか?盤面に針を下ろす度に、音溝は針との摩擦で高温に晒され、微妙に溶けてダメージを受ける・・・なんて言われていた。それは現実なのかどうかは知らんが、一応なるほどと言わせる理屈だとは思ったな。

 

あ、思い出した!SHUREのV-15という代表的なカートリッジがあったが、その雑誌広告では音溝を鉄道のレールに例えて「脱線しない・・・V-15」みたいなキャッチコピーがあったような気がする。これはかなり曖昧な記憶なので、違う機種の広告だったかもしれないが。

 

で、改めてこのミケランジェリのレコードなど聴いてみると・・・レコードってぇヤツは結局、塩ビという材質に刻まれた溝を針がトレースすることで振動し、その振動で発電して音楽信号にする理屈だから、やっぱり塩ビという材質の固有音というか、そんな感じの質感があるねぇ。データの音ではなくて材質音だな、と思う。物質感がある音と言っても良いのかもしれない。

アナログの世界は、物質性がモロに出てくるわなぁ・・・面白いですなぁ。でも、拘るとドンドン機材が巨大化していくからなぁ・・・そういう世界に若い人達が目覚めて行くんだろうか?やがてラックスマンやらアキュフェーズの重量級アンプを購入して、冷蔵庫大のスピーカーを繋ぐんだろうか?ま、それもまた良し!だけど・・・なんかねぇ?地球温暖化が叫ばれる中では背徳心というか、思ったりもするハイエンド・オーディオの世界ですな。

電源コード一本換えて、音が良くなるとか悪くなるとか・・・そりゃあ、ナニガシカ換えれば音は変わるだろうけど、それにン十万円でもン百万でも投資してしまうという伝染病・・・ならぬ「電線病」には付き合えないからなぁ(ワガハイの知人にも電線病の患者さんがいる)

電線に金かけるならば、ロマネ・コンティでも買った方がイイですなぁ(買えないケド)

 

最後になったが、ミケランジェリというピアニストも、気難しい演奏者として有名だったが、その演奏には慌ただしさが感じられないのが好きですな。フォルテシモでもうるさくない。元気な演奏、枯れた演奏という違いでもない。まあ、これは打鍵に対する演奏者の責任とでもいう、「朗読者」のスタンスがあるかどうか・・・といったあたりの話なんだろうねぇ。ドビュッシーの音楽を伝え聴かせるという強い意図であって、決して自我の解放(或いは自己表現)のための演奏ではないわなぁ。

表現が結果論となっているように思うんですな。やっぱり達した人・・・達人だったんだねぇ。

 

まあ、本日もまとまりに欠けた内容となった。だがレコードの面倒くささと、それを逆手にとれれば、それもまた面白いもんだ、というコトが書けたのでヨカッタ。ああ、そしてレコードって静電気で埃を寄せ付けるから、冬は厳しいよねぇ。若い頃は、少し加湿して扱っていた記憶があるな。

というワケで、本日は何故か「酒」ネタに繋げることが出来なかった。静岡酒の「森本」に繋げようと思ったんだが?へんだなぁ・・・?