Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

ジャガイモなら男爵ですな

紀元前一千数百年前のトロイア戦争がど~た~こ~た~で始まった競技会が、古代オリンピックの由来だとか・・・説はいろいろ出てくるだろうが、結局のところ、ハッキリとしたコトはワカランのだろうねぇ・・・だが、古代オリンピックの終焉もどうやら「金(褒賞金)」の問題があったみたいだ。多分、賄賂なんかもあったんだろうねぇ・・・ない筈がないだろうからねぇ。

ま、正確なところはど~ナンダカ?とは思うが、概ね「金」で潤い、「金」で転ぶのが人間社会の盛衰であろうから、所詮「金」絡みの問題というのは、今も昔も変わらず案外信憑性は高いだろう。そして、概ね361年から369年(第287回オリンピュア祭)辺りで古代オリンピックは終焉を迎えているみたいだ。

温故知新・・・?古かろうが新しかろうが、人間という動物は大した変化はない。そりゃあそうだ、昔は脳味噌が大腸にあってアタマの中で食物を消化して鼻から排泄していた・・・或いはその逆、というようなコトはないだろうからねぇ・・・

 

古代オリンピックの終焉は、ローマがキリスト教を認める過程と重なってくる。そしてこの言葉が出てくる。(追記参照)

 24あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を受けるように走りなさい。25競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。

コリントの信徒への手紙一 9章 24-25節 日本聖書協会 新共同訳

 さて、果たしてキリスト教が朽ちない冠を手にしたかどうかは知らない。ま、信仰において個人が神の前に一人立つことが出来れば、それは朽ちない冠なのかもしれない・・・それが大いなる妄想だったとしても。で、集団としての教団が朽ちることとはまた、別問題だろう。実際、教会聖堂はドンドンとリフォームして転用されているからねぇ。

もっとも、朽ちる冠側も、1990年代に入ると勝者を記録した青銅板が発掘されたりして健闘しておるが・・・ま、果たしてその信憑性はワカランがね。そんなの眉唾っぽいからねぇ。

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青銅板ならぬ硬貨に記録された1964

近代オリンピックはピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱というコトらしい。数日前にワシントン・ポストIOCの小川さんのコトを「ぼったくり男爵」と書いたようだが、提唱が男爵だから・・・というコトを意味合いに含めて皮肉っているように思いましたな。ワガハイ的には久しぶりにちょっと痛快に笑いましたな。

ナニゴトも時代の流れのなかで意味合いは変化していくものだからな。キレイゴトばかりでは済まないのが人間社会ではあろうが、果たしてアスリートが目指している冠は、朽ちるものなのか朽ちないものなのか、それはワカランがな。ブラックな冠になる危険は高そうな気がするんだよなぁ・・・

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ナニも知らない時代だったのかねぇ・・・

それぞれが、良かれと思って行動して・・・本体がぶっ壊れるということもあるんですな。そういう組織崩壊を見たことがあるんですな。なんか、その時の状態を見ているような昨今、ですな。

上画像・・・イイ感じで古びてきましたな。ワガハイの身体もこんな感じで古びてきていると思えば、脳味噌もこんな感じかもしれないねぇ・・・

 

〈追記 2021年5月8日18:30〉

「コリントの信徒への手紙一」はパウロが出したコリントの人たちへのネジ巻書簡というような内容だが、パウロ自身がコリントに滞在したのは50~51年頃の1年半らしい。その後、小アジアのエフェソから書いた書簡という。その頃当然、古代オリンピックは開催されていたわけだが・・・ローマ皇帝、いわゆる暴君ネロの37~68年という生没年や、ネロ自身が優勝者になるための不正などが行なわれた65年などという時代背景を考えると・・・「朽ちる冠」という言葉には、(古代)オリンピックの腐敗を明らかに批判しておる感じがしますな。