神奈川県真鶴町には真鶴港ともう一つ、岩漁港がある。その岩地区にも興味深い神社やお寺があるんだが、その中でも強烈な存在なのが「如来寺跡」であるな。ただし、崩壊の危険があるようで、残念ながら内部は立入禁止になっておる。
Etsuro1の記憶では、高校生の頃に真鶴在住の同級生に案内してもらったので、かれこれ45年位は昔のことになってしまうんだな。で、だいぶ記憶も薄れたところで「さて、どんなだったっけかな?」と思いたって数日前に行ってみたんだが・・・ま、「岩壁に触れるな!崩壊の危険・・・」みたいな貼紙がされていたりして、状態はよろしくない。地形としては「海食崖」であり、「火砕丘」であったりするので、そういう成り立ちの場所なのである。そしてその崖に石窟があって、その中に石造りの仏像が複数体安置されておる。とても衝撃的な世界がそこにひろがっていたんだが・・・
立ち入り禁止!である。
上画像の右手にスロープがあり、そして石段がある・・・それを上っていくと上から内部を覗き込むことは出来る。とても内部は暗いので、目が暗順応するまでは全く見えないのだが・・・暫くすると暗闇のなかに一体、また一体と仏像の存在が確認出来るようになってくる。それはまた、内部から見た状態とは違って衝撃的な体験ではあるな。
ま、肉眼で覗き込むよりもデジカメの画面で見た方が分かる。全く以て昨今のデジカメは暗視カメラ的に使えるようになりつつあるな。
「真鶴 如来寺跡」で検索すれば、立入禁止前に撮影された画像が出てくるから、それを見ればどういうモノなのかは分かると思うが、現状では上画像のような状態でしか確認することは出来ない。まあ、自己責任で中に入るという人もいるかもしれんが、コロナ禍において余計な事故でも起こしてしまったら、いろいろ迷惑をかけますからな。ま、立ち入らんというのが賢明でしょうな。
こういう文化財の保護っていうのも、なかなか厄介だなぁ。石窟の風化ってぇヤツは避けられんからなぁ。
真鶴石、あるいは本小松石と呼ばれる安山岩である。ということで箱根山の噴火に関わるわけだな。
石材も永遠ではない。風化していくので刻まれた文字も判読不可能になっていくし、やがてどのような仏像だったのかも分からなくなりますな。
享保十四・・・という文字が見えるようだが、この部分の刻は明瞭なのに、その下が急に不鮮明になってしまう。
享保といえば西暦1716~1736年、徳川吉宗である!おお!暴れん坊将軍ではないか!!
享保の改革、小石川養生所の開設だな。め組の居候、松平健さんの富士山をバックに白馬が走るの図は凄いもんでしたな。
こういう漁港風景ってぇのは好きなんだが、だんだんと変わっていくんでしょうな。なんかチラホラ空き家と思われる物件も見られましたな。
2021年3月4日時点での真鶴町の新型コロナウイルス感染者累計数は7人。県内では清川村の3人に次いで少ない。それは人口にも関わろう。しかし海風の通るこの環境では、花粉症が酷いワガハイでもアレルギー症状は緩和しますな。海辺の街というのもまた、清らかな環境ですな。