深まる秋、11月下旬から12月にかけてというのは、スッキリと澄み切った空にはなかなか巡りあえないように思われるな。上の画像の空の色は、なんとも冷えてきました的な感じでしょう。これ、何処で撮ったんだっけかな?これもぶち壊れたHDから復活させたデータなんで、詳細が不明になってしまったんだな。こういう部分(ディテール)撮りしたものってぇヤツは、記憶を辿る術がなくなるな。ま、概ね散歩中に撮っていると思われるので・・・近所だろうなぁ。
その記憶なんだが、サッサと調べれば分かることながら、曖昧のままど~た~こ~た~思い出してみるのも不正確ながら面白いもんだ。昨日のさだまさしさんだったと思う・・・ ♪パンプキンパイとシナモンティー♩ がど~た~こ~た~って歌だが、その後、風呂の中で少し思い出したな。バラのカタチの角砂糖を入れて、シナモンの枝でかき混ぜる?その枝でガラス(たぶん喫茶店の窓ガラス)に三度、恋しい人の名前を書くと・・・恋が成就する?みたいな内容の歌詞ではなかっただろうか???
で、連鎖的に思い出してくることがあってねぇ・・・アタマのいい女の子で(上智大学だったかな)、凄~く理屈っぽいのがいてね。仲間数人が集まっているなかでこう言うんだな。
「バラのカタチの砂糖なのに、なんで角砂糖と言うの?角砂糖というのは立方体やら直方体だからこそ”角”砂糖なんじゃない?」
それでそこにいたEtsuro1だけでなく、数人の有名大学に通っている男女数名が答えに詰まりましたな。
「一応・・・バラの形態っていうのにも、エッジやら角っていうもんはあるからなぁ・・・それで角砂糖ということでいいんじゃない?」
これはEtsuro1の言ったことであるな。で、いくらかの意見が出たものの、
「だったら塊砂糖でもいいじゃない」
というのが、そのアタマのいい女の子の言葉であったな。
ま、こういうど~でもいいって言っちゃあ、それまでだが、そういう会話を集まって楽しんでいる時間というのが、若い頃の楽しみでもあったわけだな。
こういう会話は、もう年寄りになると・・・ない!ね。
社会人なった時点で、こういう会話は・・・ない!ね。
そういう時間がコロナ禍のなかで失われていくという世代がある・・・でも、きっと違った価値観、世界観が育まれてもいくねぇ・・・これ、現在進行形であるからな。つまり既に「古い衣は脱ぎ捨てて、新しい衣を身にまとわなければならない」ということを意味しているんだろう。これは新約聖書のある部分のパクリだが、2000年前にも大変な苦難に満ちたことがあって、それをくぐり抜ける為の知恵のひとつではあったんだろう・・・と思いますな。ま、間違いなく新しい世界観が生まれていて、今まさにそこに立ち会っている・・・(膿の苦しみ・・・って誤変換するな!)生みの苦しみの最中なのかもしれないな。
しかし・・・冬の寒い中、新しい世界観の生みの苦しみの中にある、というのも、なかなか大変ですな。せめてもう少し、国の親分のココロ暖まる施策がほしいものですな。