Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

朗読の問題に似ているなぁ・・・やはりそうなんだろうなぁ・・・

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上手いねぇ・・・もう、クラシックというジャンルはいらないねぇ

それほど新しいCDではない。最近、CDを買わないのだ。何故なら面白そうなものが見当たらないからだ(もう、圧倒的に日本酒の酒蔵の方が面白いことをやっているんだなぁ・・・)。それで、ソコソコの枚数はあるので、CDの聴き直しになるわけだが、ちょうど例のONTOMOスピーカーキットで聴くのにど~だろうか?と思うものをゴソゴソと引っ張り出している、というわけだ。

Berliner Barock Solistenは、説明する必要はないだろう。Etsuro1も何度がコンサート会場に足を運んだんだが、とにかく適度にスリリング感が出るようにビオラのおっちゃんが突っ込み入れるなど、結構笑えるパフォーマンスでしたな。このCDはヴィヴァルディの曲がいろいろ収録されているのだが、まあ、派手な演奏であるな。これだけガンガン弾いてくれるとやっぱり面白いですな。

もう一枚はリュート、J. S. Bachだねぇ・・・このPaul O'Detteさんのことは、あまり詳しくは無いんだが、なんかロック系もイケる人なのかね。そういうテーストを感じるリュート演奏なんだが、案外バッハにはいいかもしれませんな。ま、昔からバッハはジャズでも演奏されているしね。いろいろなあり方が試せるのがバッハの面白いところでもあるのかもしれないね。このCDは弦楽器フェアだっけ?あの科学技術館かなんかでやってたヤツ・・・それに行った時に見つけたんだなぁ・・・Etsuro1は、ヴァイオリン属の楽器よりもリュート属の楽器の方が好きだからな。理由は単純だ・・・ヴァイオリンはうるさい!音域的にもヴァイオリンは疲れるな。チェロの方がマシだがね・・・音が自然に減衰していく響きのリュート属の方が、聴いていてラクであります。それに案外、ギターってぇヤツは表現力があるからねぇ・・・それはスチール弦でも同じだと思うな。

※J. S. Bach・・・ルター派全盛期の作曲家、ってぇことだわな。バッハ自身、カルヴァン派の台頭にナニか感じていたと思いますな。これ、福音派の話しに繋がっていくよね。

でもまあ、どういう楽器であっても、やっぱり明瞭であるコトって求めてしまうな。演奏が明瞭であること、その表現が明瞭な目的や礎によること、そして録音が明瞭であること、再生機材も明瞭な音が出ること。明瞭って言っても、いろいろな意味での明瞭があるとは思うんだがね。特にオーディオ装置の領域は、所詮は明瞭感なのかもしれないねぇ。録音機材はちょっと違うと思うんだが、古い録音でもしっかりと丁寧に録音されたものは、たとえモノラル録音でも素晴らしいからねぇ。最近のデジタル録音の中には、ど~にも下手クソとしか言いようのない、工夫の無いものが散見するからねぇ・・・なんでもノイマンのマイクで録っておれば良いという話しではないからねぇ・・・(マイクって、セッティングだけじゃなくて、マイクそのものが楽器みたいなデリケートさがあるからねぇ・・・これ、映画の音声さんからいろいろ教わったなぁ・・・駆け出しの頃にねぇ)

だいぶ以前、キリスト教の司祭さんから聖書朗読はどうあるべきか?という雑談を聞かされてねぇ・・・それ、全く音楽の演奏問題と同じでしたな。

「読んでいる文章の意味と、発生する自分の声に責任を持つこと・・・」

音楽の場合・・・(譜面の意味と、演奏行為によって発生する音に責任を持つ・・・つまり聴くこと・・・)

まあ、西欧音楽は特に、教会音楽と無関係では無いからねぇ・・・そういうことはあるだろうなぁ・・・現代の音楽でも、神への信仰ということはないにしても、演奏する音楽のナニガシかに対する尊重のようなものは、必要でしょうからなぁ・・・

 

ま、いろいろなところに首突っ込んでいた若い頃、雑学が増えましたな。

 

なんか・・・大統領の意味と、その行為によって発生する世の中の問題に責任を持つ・・・状態とは思えない、大国のボスの様子ですな。欲望の塊ですな。面白いけど、面白いとばかりは言ってられないからなぁ・・・こりゃ、凋落のプロセスだな。ま、かつて栄華を極めたバビロニアも崩壊したからねぇ・・国家っていうのも自滅することはあるからな。大変だから自滅しませんように・・・日本もね。

福音とは、都合の良くないコトだったりするもんです・・・な。